シリウス星☆出身?!ヴィーガン宇宙人のスピリチュアルブログ 

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正義を掲げた時の怖さについて

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僕はこれまでの人生や過去世の経験を通して、様々なことを学んできました。

 

特に「正義」というテーマについては、僕の中でも常に大きな位置を占めてきました。

 

過去の歴史を振り返ると、宗教や人種、国など様々な価値観の違いによる対立、抗争、戦争が起きています。そして、今もそれが続いています。
その背景には、自分の持つ信念が絶対的な正義に基づくものであるという思いこみ、
偏った考えに執着しているからだという気がします。

 

果たして絶対的な正義などあるのか?ということを立ち止まって考える余裕も無いくらい何かを盲信しています。

 

たとえ相手や誰かの正義や信念に同意できなかったとしても、なぜそのような正義や信念が生まれるのかといった理由を、その背景や歴史、過程、時代の潮流などといった観点から理解しようとすることは可能です。

 

また、僕はそのこと自体は否定はしませんが、自分の正義を貫こうとして、時に意図的に周囲を巻き込んで同調させたり、同化させようというする働きがあることも知っています。

 

でも、その奥に潜むのは、多数派にならないとそれを誇示できないという不安がどこかにあるからなのかもしれません。

 

一般的に数が多ければ強い、正しいということを感じやすいので、そうような行為に走ってしまいがちですが、実はそれは錯覚である場合もあります。

 

過去の歴史や、社会心理学における集団心理(群集心理)などについて勉強していくと、悲劇が起きる背景にはそういったことが深く関係しています。

 

同調させる、群れるという行為の陰には実は不安があり、それによって本人も気付かぬまま無意識に突き動かされていることがあるように思えるのです。

 

そのこと自体が、その正義と呼ばれるものの本質的な弱さ、脆弱性を露呈しているということに気づいていません。

 

それに、本人が良かれと思った行為であったとしても、
それがいつの間にか独善的になっている場合もあります。

 

だから、僕は常に自省する、自分を省みる心を持ち続けることの大切さを伝えたいと思っています。

 

また、それと同時に正義というのは相対的なものであるということを知っているのと、そうでないのとでは生き方が全然違ってくるとも思っています。

 

僕は他者が正義を掲げて行動している姿を見た時、「そうなるべくしてそうなっているんだな」、「今はその人にとってのベストがそれなんだな」、という目でただ冷静に観察し眺めています。

 

その人なりに人生を生きてきて、数ある選択肢の中で今それを正義だと信じることがベストだと思っているという風に感じ、その人の一時的な仮の姿、過程の一つであるという目で見ています。
そのような考え方に至るような原因があって、今そのような結果、行動が生まれているのだということは何となく理解できるからです。

 

それが良いか悪いかという個人的な判断を抜きにすれば、十分それ自体は理解できます。

 

だからといって、それにあえて賛同するということもありません。


僕はただ自分の道を行くというだけで、安易に他者のフィールドに足を踏み入れたり、
恩着せがましく世話を焼いたり、深入りするということはしません。

 

ただ中道を行く、見守るという心のあり方を心がけるようにしています。

 

また、別の場合では、ある人の発言が周囲から正義として賞賛され、
本人も想像していなかったような思わぬ大勢の支持を得てしまうこともあります。
そして、いつの間にか救世主のように担ぎ上げられ、
本人も引くに引けない状況に陥って悲劇を生むという場合もあったりします。
(これは過去に起きた数々の歴史的な悲劇を象徴しています。)

 

その出来事が生まれたのは、その人の発言、思想が引き金になったということも言えますが、それを担ぎ上げた集団一人ひとりの責任でもあったりするのです。つまり連帯責任であり、「自分で蒔いた種は、自分で刈り取る」というように最終的には自分に返ってきます。

 

だから、僕たちは常に自主独立した存在としてある必要があると思うのです。
それが平和に生きる一つの方法だと僕は思っています。

 

僕はたまにこの集団心理というものもちゃんと理解しないと怖いなと思うことがあります。

 

自分の意見を持たず、他者の意見に盲目的に飛びついたり、
無意識に同化、同調している人たちも沢山いるからです。

 

本人たちはなぜそのことを自分の人生に取り入れるのか、賛同するのか、その本質的な部分に目を向けず、大勢の中の一人という役を勝手に引き受けてしまっています。それはまるで操り人形のようであり、あまりにも可哀想に見えます。

 

そんな自分にしないためにも、一人ひとりが自分の存在をきちんと見据え、
意識的になって行動すること、自分の正義や信念を時に省みる冷静さを持つこと、
安易に他者の意見や情報に惑わされず自分自分自身を保つこと、
そして、最終的に自分の中においてのみ正義を追求していってほしいと願います。

 

真に自分の正義や信念を貫こうとした時、それはたった一人の人間の人生の中で体現されるものであっても十分であるという気がします。

 

実は、自分の目から見える現実というのは、自らの心の投影です。
つまり、周囲で争いが見えるのは、自分の心の中にある信念に対立がある証拠でもあります。

 

神様は自分の心を平和にする、まず自分自身を癒し救う人を好むのだという気がします。

 

だから、外側の世界に見える不毛な戦場(正しさの押しつけ合い)からは早々に離脱することをおすすめします。なぜなら、永遠に勝敗がつかないからです。

 

そのことへの気づきを得るという意味でも、「正義」について一度考えてみることには価値があると思います。

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

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