シリウス星☆出身?!ヴィーガン宇宙人のスピリチュアルブログ 

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こいつには気をつけろ!霊的エゴ その①

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皆さん、霊的エゴって知っていますか?

 

霊的エゴとは、スピリチュアルな事柄を利用してエゴイズムを満たそうとする心の働きのことです。

 

僕は21歳くらいの時に初めて一種の悟りのような感覚を得たことがありました。

 

「覚醒の前段階」、「自己覚知」、「集合意識の外に出る感覚」、「一時的な解脱」など様々な表現で表わされる精神状態のことです。

 

例えるなら、一度雲を突き抜けて雲の上から眼下を見下ろすような感じ、もしくは水面から顔を出して、水中の様子を覗いているような感じで、この現実を眺めている感覚です。悟りの世界を体験入学するというか、一時的に達観するという表現に近いものがあります。わかってもらえるかな‥‥?

 

その当時、僕が初めてそれを体験した時、これが一体何なのかわからず戸惑いました。

 

でも、しばらくして一瞬のうちに膨大な数の自分の過去世らしきものが走馬燈のように見えたり、未来のビジョンが浮かんだり、自分の中に眠っていた潜在能力の一部が突然開花し、いわゆる直感が超冴えている状態になりました。五感もそれまでにないくらい研ぎ澄まされ、物事や歴史の真実がはっきりと見えてくるような状態になりました。

 

はじめのうちは、その知識や能力を得たことに驚きながらも、それを使ってどんなことができるのかを一人家の中で試したりしていました。

 

しかし、段々と自分が他者よりも優位であるという思いに支配され始め、外で通りすがりの人を見かけるたびに、自分よりも劣っていると見下したり、その能力を使って人の上に立とうとする傲慢さが自分の中に芽生えていくのがわかりました。

 

僕はその当時、被害妄想や対人恐怖症、鬱病のような状態に陥っていて、家に引きこもりがちになり、スピリチュアルに関する本ばかりを読んでいました。

(でも、その一種の悟りのような体験中は、まるで何ものにも染まっていない純粋無垢な状態に戻ったかのような感覚になりました。そして、なぜかそれまであった精神病の症状も一時的に完治したかのようになくなったのです。)

 

また、それまでの僕はプライドが高い癖に、なぜか自己肯定感は低く、頑固で劣等感を強く感じるタイプの性格でした。おまけに嫉妬深いという質の悪さもありました。

 

そんな僕の身に突然、そのような精神状態や能力が表出したため、
他者より上に立って優越感に浸りたいという霊的エゴがどっと溢れ出てきたのです。

 

でも、その心の動きを冷静に眺めているもう一人の自分もいて、
「このままでは僕はきっとこの能力を誤用してしまう!すぐに封印しなくちゃだめだ!」と強く思いました。そう思った途端、本当に潮が引くようにそういった能力や感度が失われていきました。

 

今、振り返ると、あの当時の判断は正解だったと思いました。あのままその霊的エゴに支配されていたら、僕は今頃どうなっていたのか想像するだけでも怖いくらいです。多分変な宗教家にでもなっていたかもしれません。

 

よく言われることですが、能力と人格が比例しないことがあると僕は思います。
当時の僕にはその能力を扱うにはまだ早かったという気がしました。


車の両輪は同じ大きさでないと前に進まないのと同じように、人間も人格以上の能力が与えられても、それを誤って使い身を滅ぼすことがあるように思うのです。

 

僕がその良い例でした。一歩間違えれば人生を棒に振っていたという気がします。

 

その不思議な体験は、人間の可能性を知るという意味でのデモンストレーションとしては意味がありましたが、それを現実の中でどう扱っていくのかという意味では、自分があまりにも知識や経験が乏しく、人間的にも未熟だったと思います。

 

その経験があってから、少し言葉は汚いですが、僕はたまにその霊的エゴに「食われているな」と思う人を見抜けるというか、たまにそういう人を見かけることがあります。

 

まるで、豪華な服に着られてしまっている人のように、身に不相応であるばかりに能力によってその人が反対に操られている、従属させられている場合があるというのを見て取り、悲しいと思う時があります。

 

そして、霊的エゴの怖いところは、本人がそのことに全く気づいていないという点です。

 

自分は何か特別な能力を与えられている、神に選ばれた人間だと過信したり、さも他の人たちとは違うと一線を隔すような演出をしたり態度を取っていたりもします。

 

またスピリチュアルなことにばかりかまけていて、人としての礼節やコミュニケーションといった現実的なことをおろそかにし、地に足が着いていない印象も受けます。

 

これは僕の経験上感じた個人的な見解ですが、本当に霊性が高い人たちは、どこにでもいるような普通の服装や、普通に綺麗だと感じるレベルのお洒落な服装をしている程度で、いかにも「私スピリチュアルなことやってます!」的な服装はしていません。まずそんな風にして自分から目立とうとはしていませんでした。

 

そして、上下関係を作らず常に対等で身近な存在として、人と共に寄り添うような生き方を貫いている人が多いように思います。
また、自主独立した存在として、周囲の反応に左右されず確固とした自分というものを常に持っているように思えました。

(自然とお役目として人の上に立ったり、その人の持つ嗜好や、本質的な部分から人目を引くような煌びやかな雰囲気が溢れ出てしまうという例外はあります。)

  

例えば、特にスピリチュアルな仕事に関係していなくても、実はものすごい霊性が高い人格の持ち主が隠れていて、誰に悟られることもなく、人類のために貢献している場合もあります。

 

ヘンテコな衣装で身を包んだり、いかに自分がすごい人間かを吹聴して、お金を寄進させたり、騙し取ったりしながら、周囲の人たちを自分に依存させようとしているような人は、霊的エゴに支配されている場合があるので注意した方がいいということを伝えておきたいと思います。

 

自分をいかに大きく見せようかと考えている時点で、自信がないことの表れや弱さ、恐れに突き動かされていることの証明であると思います。

  

きっとそうなってしまうのは、根底の部分でありのままの自分、自然体であれない何らかの根深い劣等感があるのか、自分の中で何かしら満たされない欲求、不足を抱えているのだと思います。

 

それを巧みに利用して霊的エゴはその人の心に近づき、いつの間にか飲み込んでしまうのです。
一時的な幸福感や優越感を目の前にちらつかせて、まんまと罠に嵌め、その人の人生までも食い荒らしてしまいます。

 

霊的エゴの仕掛ける罠は非常に巧妙です。

 

僕は、特に指導者やアドバイザーとして相手を見る時、「慈愛」と「エンパワメント」を大切にするように心がけているかどうかという点に着目しています。

 

◎慈愛‥‥人に対して思いやりと優しさを示すこと。助けが必要な人を自分の持つパワーで全力でサポートすること

 

◎エンパワメント(力を与えること)‥‥ともに生きる一人ひとりが、自ら主導権を持って適切に動けるように力を与えること=自立させること


たとえ優しさから生まれたものであっても、結果的に自分にいつまでも依存させるのは相手のためになりません。だから、そのような人たちは時に相手のためを思い、突き離す愛も必要だとわかっているのです。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺がありますが、僕は、そういった謙虚さや誠実さ、正直さ、本当の意味で相手を思いやれる心を失わない人物こそ本物だという気がします。

 

スピリチュアルという概念を知り始めた頃は、そんな霊的エゴという魔物が人の心の中に潜んでいることがあるので、皆さんには気をつけて欲しいと思いこんな話をしてみました。

 

次回に続きます。

 

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