シリウス星☆出身?!ヴィーガン宇宙人のスピリチュアルブログ 

食・愛・笑を好む、ちょっとおかしな私の体験記を日々綴っています♡

ブログをお休みします!

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皆さん、いつも私のブログを読んで下さり、ありがとうございます。

 

突然ですが、明日2018年10月1日からブログをお休みすることに決めました。

 

このブログは2018年5月23日から始め、約4か月以上毎日続けてきました。
総記事数も今日で「162」になり、自分の目標である「200記事達成」まで五合目を過ぎ、だいぶ近づいてきたところです。

 

これまでこのブログを書くことを通して、友人や家族にすら一切打ち明けることのなかった自分の本当の姿を人生で初めてありのままに表現してきました。

 

そのことによって、自分の中で沢山の気づきや心の変化が生まれました。

 

一番大きかったのは、こんなおかしな自分であっても、
世の中にはそんな私の姿を普通に受け入れてくれる人たちがいるんだということが知れたことでした。
それは私にとって全く新しい世界に足を踏み入れるくらいの大きな変化を感じられ、深い感謝の念が自然と沸き起こりました。

 

自分がこの年齢になるまで、それらのことを話せなかったのは、
「きっと受け入れてもらえないだろう」という思いこみが自分の中に強くあったせいだとわかりました。

 

でも、読者の存在を知ることでその思い込みや恐れが少しずつ溶かされ、
より一層人生を生きることが楽しくなり、自然体であれることの喜びを知りました。

 

またブログを書くことで、自分の新たな一面、才能に気づいたり、
文章で何か表現することの楽しさや
他者に向けてメッセージを書くことが実は自分を癒すことに
繋がっていたという発見もありました。

 

不思議な感覚ですが、記事を書いている時、
「あっ!これは今他者に向けて書いてるけど、自分が自分に向けて届けたいメッセージだな!」と思うことが多々ありました。

 

さらに、過去のエピソードを振り返ることで、
忘れていた自分の本来の姿を思い出すきっかけにもなりました。

 

中学生で絵を描くことが嫌いになったトラウマによって、
絵を描くことと真剣に向き合わず、ずっと目を反らし続けてきたことに気づきました。また、これまでいつもどこか手を抜いていて、本当の意味でその絵の才能を生かす努力をしてこなかったことにも気づきました。

 

それが今になって、多くの方の温かい励ましにより、
「もういい加減、過去を引きずるのをやめにしよう!」という気持ちになれました。

 

ブログを通して生まれた、そういった一つ一つ心の変化、経験の積み重ねが、
私の人生の可能性を押し広げてくれました。

 

でも一方で、「では、自分は一体これから何をやりたいのか?」という
新たな疑問も浮かんできました。
つまり、沢山生まれてきたいろいろな選択肢の中から
今度は優先順位を決める段階に入って来たように感じたのです。

 

私は自分のこれまでの人生の中で、
同時にいくつものことに手を出すとそのどれもが中途半端になり、
どれも満足できないで結果に終わるという自分の傾向のようなものがあることを知りました。

 

まさに「二兎追うものは一兎も得ず」という状態になってしまうんです。
でもその反面、一度本気で対象をロックオンしたら、
許される範囲内でですけど、それを必ずGet!できる(現実化させられる)という得意技も持ってます。

 

なんか心の奥の方でグッと念じると、何かのスイッチが入った感じがして
不思議とその実現のための行動に邁進することができ、自然と現実化するんです。

 

自分でも正直よくわからないのですが、意図的にスイッチを入れるというよりかは、
本気で願った瞬間に勝手にスイッチが入っちゃう感じです。(^_^;)
ちなみに本気で願うのは顕在意識の私ではないもう一人の私です。

 

きっと器用な人は同時進行で複数のことをこなしたり、
さらにそのどれもに均等にエネルギーを注ぐことができるのだと思いますが、
私にはそれがどうも苦手です。

 

段々と気力が失せてきて、わかりやすいくらい全部が雑になり、
歴然と注力の差が現れてきます。(/ω\)キャー!

 

なので、とりあえずブログを一度お休みにしてみて、
その間にのんびりと自分の気持ちと向き合い、
今後の人生でやっていきたい活動は何か、自分が今何をしている時が一番幸せなのか、
自分の創造性をどう社会で役立てて生きていきたいのかについてじっくりと考えようと思いました。

 

また最近あまり本も読んでいなかったのでゆっくと本を読んだり、何かの勉強を始めたりして、内省の時に時間を充てたいなと思っています。

 

これからは日常化していたブログを書いたり、他者のブログを読むという世界から一旦離れてみて、今までとは違うライフスタイルの中に身を置いてみるつもりです。

 

海外旅行に行くと日本の素晴らしさや良さを改めて再認識できるみたいに、
ブログの世界から一度離れてみて、改めてブログが好き、ずっと続けていきたい!思うのか、それとも別の何かにもっとエネルギーを注いでいきたい!と思うのか、
そういったことが自然とはっきりしてくるだろうと思っています。

 

そのためにも、この先の期間を自分の本心を知るために使おうと思っています。

 

これまで日々読者の皆さんの温かい応援のおかげで、本当に楽しくブログを書いてこられました。また、読者の方のブログを読ませていただくことでも沢山の学びを得ることができました。


皆さんの日々の活動や経験談をシェアしていただけたことで、私もすごい刺激や勇気をもらえました。これまでコメントをお寄せ下さった読者の皆さんにも心から感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました!<(_ _)>

 

とりあえず1か月間はお休みする予定ですが、その先は未定です。
また続けたいという気持ちが芽生えたら再開するかもしれません。

 

それまで、しばしのお別れです。(=゚ω゚)ノSee you !

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

♡愛を込めて♡

 

いつもありがとう
すべての存在に感謝☆彡

ベジタリアンのインスタント麺を紹介します!

つい最近、近くのお店でベジタリアン向けのインスタント麺が
いくつか販売されていましたので、それを紹介させていただきます!(^O^)/

ベジタリアンソース焼きそば(桜井食品株式会社)

パッケージはこんな感じです。↓

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中身はインスタント麺、ソース、ふりかけ(青のり)が入っています。
これだけでは物足りないので、具材にキャベツ、もやし、大豆ミート、人参、紅しょうがをプラスして作ってみました。

 

完成したのはこちらです。↓

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具材を入れたせいか、付属のソースが薄まってしまい色があまりつきませんでした。
見た目にはソース焼きそばに見えないかもしれませんが味の濃さは意外と十分で、ソースの味は若干酸味が強めでした。
濃いめの味がお好きな方は、具を入れないか、少しにされた方がよいかと思います。


ベジタリアンの豆乳ピリ辛めん(桜井食品株式会社)

パッケージはこんな感じです。↓

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具材に、甘酢で味付けしたナスと大豆ミートの肉みそ、豆苗を添えました。

 

完成したのはこちらです。↓ 

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私は結構辛いのは得意な方なので全然辛くなく、非常にやさしい味のスープでとても美味しかったです。

ベジタリアンのためのラーメン みそ味(桜井食品株式会社)

パッケージはこんな感じです。↓

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具材にコーン、人参、豆苗、キャベツ、長ネギを入れてみました。

 

完成したのはこちらです。↓

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ノーマルなインスタント麺のみそ味と比べて、
塩分控えめでやさしいマイルドな味つけに感じられ、とても美味しかったです。
みそ味の他にしょうゆ味もあります。

 

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ヴィーガンベジタリアンの方で、手軽にラーメンが食べたい!と思った際に
ちょっとこういったインスタント麺があると便利だと思いました。
きっと保存食しても重宝すると思います。

 

皆さんも機会がありましたら、是非お試し下さい。( ˘ω˘ )

 

今回は3点しか紹介できませんでしたが、桜井食品株式会社ではその他にもいろいろな食品を販売されていますので、興味のある方は是非下記HPをチェックしてみて下さい。

www.sakuraifoods.com

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

♡愛を込めて♡

 

いつもありがとう
すべての存在に感謝☆彡

野生動物との関わり、ちょっと苦い思い出

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私はこれまでの人生の中で不意にいろんな野生動物たちと関わった際に、
ちょっとびっくりするような出来事に遭遇しています。
今となっては笑い話ですが、正直「なんで自分ばっかり‥‥」と思うような感じの話です。
今日はそんな話を紹介します!(^O^)/

 

まず一つ目は「猿」と関わった時のお話です。

 

ある時、私は妹と一緒に南伊豆にある「波勝崎苑 猿園」を訪ねました。
そこに向かう途中、海岸を目指してしばらく坂を下って歩いていたら、
突然、何かが背後から私の肩に乗っかってきて、
いきなりワッシャーっと両手で私の両頬を引っ掻かいて、
またどこかへ立ち去っていきました。Σ(゚Д゚)

 

あまりにも素早い動きに私はなすすべもなく、
何が肩に乗っかってきたのかも目にすることがないくらいの一瞬の早業でした。

 

すぐにそばにいた妹に「頬切れてない?」と見てもらいましたが、
幸いなことに白い引っ掻き傷が数本薄くついている程度で済みました。ε-(´∀`*)ホッ

 

それから、しばらく歩いていると注意書きの看板が見えてきて、
さっきの出来事の謎が解けました。

 

その看板に書かれていたのは、
「猿が眼鏡をいたずらで盗んでいくことがあるので注意して下さい」
というような内容でした。

 

実はその時、私は眼鏡をかけて歩いていたので、
それを見つけた猿が私の眼鏡を取ろうとして
背後から私の肩に乗り手をかけたのだとわかりました。

 

あと数センチ上にその猿の手が届いていたら、
眼鏡が取られていたとわかり、「軽い引っ掻き傷だけで済んで良かった~」と安心しました。
その出来事があってから、若干私は猿に対して警戒心を抱くようになりました。(^_^;)

 

二つ目は「鳶」と関わった時のお話です。

 

それは、母と妹と三人で神奈川県にある「猿島」に観光で訪れた際に起きました。
事前に駅で購入していたお弁当を海岸近くで座って食べることにしました。

 

私は当時(ヴィーガンになる前)大好物だったチキン南蛮弁当を
「よし食べよう!」と喜び勇んで開封した途端、何か大きな生き物が急降下してきて弁当の上に覆いかぶさり、一瞬で弁当をぶちまけて飛び去っていきました。

 

地面に散らばった無残なチキン南蛮を眺め、あまりにも自分が可哀想過ぎて一瞬思考が停止しました。(;゚⊿゚) えっ、何が起きたの?!
そして、冷静になって「あっ、今のは鳶の仕業だ!」ということがわかりました。

 

悲壮感が漂い始めた私の姿に、母と妹は必死で私の弁当箱に残っていたわずかなおかずの砂がついた部分をよければ食べられるよ!と励ましてくれたり、自分たちのおかずを少しずつ分けてくれて、そのおかげで私は何とか気持ちを立て直すことができました。

 

でも、周りには妹や母以外にも食事をしている観光客は何人かいたのに、
私のお弁当だけ悲しいくらいガッツリと狙われたのがなんか不運だったなと思いました。
(´・ω・`) 超ショック…
多分私は目の前のチキン南蛮に夢中過ぎて、隙だらけだったんでしょうね。(苦笑)

 

鳶は目がいいので、上空をかなり高く飛んでいても下の様子がよく見えているそうです。
もし鳶が飛んでいる空の下でお弁当を広げることがありましたら、皆さんもご注意下さいね。

 

最後は「鹿」と関わった時のお話です。

 

つい最近、妹と旅行で広島の世界遺産厳島神社」を訪ねた際、船着き場で宮島内の観光案内が書かれたマップを1枚もらいました。

 

そして、いざ出発!と思って歩き始めたら、いきなり目の前に野生の鹿が歩いてきました。
可愛かったので、なでている姿を妹にカメラで撮ってもらおうと思い近づきました。
すると、その鹿は私が手に持っていたマップにいきなり食いついてしまいました。

 

「これは食べちゃだめだよ~」と思いっきり引っ張って、
やめさせようとしましたが、鹿も絶対離さないぞ!というくらい強く噛んでいて
結局ビリっと破れて、半分くらい食べられてしまいました。

 

そばでそれを見ていた妹は「秒殺だったね。そのマップの命・・・」と言い、
私もそれを聞いてほんとその通りだったので、おかしくて笑えてしまいました。

 

その後は、そのまま普通にマップなしで観光を楽しみました。(*^^)v

 

そんな感じで、私は人生において野生の動物たちと関わると
何かしらの出来事が起きていたんだな~と改めて思いました。
いいのか悪いのかわかりませんが‥‥。

 

野生動物ってほんと予想だにしない行動に出るので面白くもありますけどね。
私は基本的に動物全般が大好きです。(*´ω`*)

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

♡愛を込めて♡

 

いつもありがとう
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アーモンドミルクのアイスを食べてみました!

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2018年6月下旬にイオンから発売された、乳製品を使わないアーモンドミルクで作った
トップバリュー アーモンドアイス」を試しに食べてみました!(^O^)/

つい最近、たまたまイオン系列のスーパーに行った際、豆乳アイスを買おうとしたら、そのそばにこのアーモンドミルクのアイスが並べてあったので、思わず全種類まとめ買いしてしまいました。
ちなみにお値段は税込170円です。

味は下記の3種類があります。

・プレーン
・チョコレート
・メープルバニラ

私は実はヴィーガンになる数年前から、体質的に乳糖不耐症気味であることが判明し、牛乳だけは飲むことを控えていました。

そして、ヴィーガンを始めてからは例外を除いて、乳製品や牛乳が含まれている食品を食べなくなったので、こういった牛乳以外で作られたアイスのレパートリーが増えることは非常にありがたいな~と嬉しく思いました。(*´ω`*)


また、3種類とも食べてみて、 全体的にどれもこってりした重い後味感がなく、すっきりとした感じで食べられてとても美味しかったです。

中でも「メープルバニラ味」は、Kracieから販売されている「Soy」という豆乳アイスにはない味なので、より一層私の中でお気に入りになりました。\(^o^)/

 

www.kracie.co.jp


あと、個人的に私が好きなおススメのアイスの食べ方がありまして、それはプレーンのアイスに砕いたくるみとメープルシロップやカラメルソースをかけて食べるというものです。


今回紹介したアーモンドミルクのアイスの「メープルバニラ味」でしたら、
砕いたクルミを入れて食べるだけでも味変になり、また違った美味しさを味わえます。


昔、ハーゲンダッツカップアイスで「キャラメルウォールナッツ」という味が期間限定で販売されていたことがありました。
当時、それにすごくハマっていて頻繁に買っていましたが、販売期間終了後は再販されることはなく残念に思っていました。


そこで、自分なりに工夫してみたところ、少しはその味に近づけられるということに気づき、そんな食べ方をし始めました。

 

アーモンドミルクのアイスは、ヴィーガンベジタリアンの方だけでなく、
牛乳アレルギーだけれど、手軽にアイスを楽しみたい方にもおすすめです!


ただし、「大豆」の成分を含んだ原材料を使用されていますので、大豆アレルギーの方はご注意下さい。


もし機会がありましたら、是非一度お試し下さいね!(^_-)-☆


読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。


♡愛を込めて♡


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女性に生まれて良かった! その②

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前回の続きです。

 

僕は、ある日突然、神様から「もう散々男役はやったから終わりじゃ!今度は女役をマスターせい!」と言われてしまったんだと思う。

 

長年僕がしつこく男役にしがみついてきたせいで、
ある意味で強制終了とも思えるような出来事が起こり、
「いい加減、諦めるんじゃ!」と神様に叱られた感がある。

 

その後は、この人生の流れを受け入れ、今自分の中にある女性性を磨くことに取り組んでいる。
そして、なんだかんだいって実は女性ならでは楽しみを謳歌していたりもする。

 

その中で気づいたのは、女性って実は見えないところで
沢山の努力をしているんだなということだった。

 

僕がもしずっと男性のままだったら、
きっとこの感覚や気持ちは理解できなかっただろうと思う。

 

女性になってみて、その苦労、陰の努力を知ることができた。

 

実際、自分が女性であることを意識し始めて、
女子力アップのためにいろいろやり始めたら、
すんごいそれが面倒で大変だということもわかってきた。

 

今までそれを当たり前に思って見ていたけれど、
女性ってより洗練された美しさを目指して、ファッションセンスを磨いたり、
ヘアケア、ヘアアレンジ、スキンケア、メイク、ネイル、エステなど、
本当に様々なことを学んだり、試したりして磨きをかけていたんだなと思う。

 

そして、一般的に女性は、仕事以外にも、結婚をすれば家事や出産と子育て、
夫のサポート、ママ友、親戚、ご近所との付き合い、学校のPTA活動、
介護、孫の世話など、やることは結構多いのにそれを全部こなしているんだと思った。

 

男女平等とは言われているものの、やはり男性と女性では根本的に脳の作りが違っていて、個人差もあるけれど、得意分野も男性と女性とでは違うように思う。
だから、女性に向いていることや女性にしかない感性などもあるため、適材適所という観点から必然的に女性が担う役割というものが生まれがちのように思う。

 

だから、僕はこの年になって、初めて女性のそういった側面に対して敬意を持てるようになってきた。女性には男性とはまた違う人生の苦労があるんだなと思った。

 

あと、正直ホルモンバランスなのか、星の動きなのかよくわからないけれど、
女性は非常に感情的になりやすいのも感じる。

 

自分でも訳がわからず、急に落ち込んだり、怒りっぽくなったり、
反対に機嫌がよくなったりと、結構これには翻弄されるな~と感じる。
まるで、調教されていない野生の馬を乗りこなす感覚に近い。

 

男性の場合は冷静で、論理的というか理知的に物事を考える傾向にあり、
あまり感情的になることが少ないように思う。

 

それに愛情や優しさの表現方法、会話の仕方なども男女で全く違うというのも感じた。

 

今はそういったことをもうしょうがないと受け入れているけれど、
男性よりも女性は感情的な性質が強いのかもしれないという気がする。

 

たまに自分の中の女性性がぐわっと出過ぎて悩まされる時、
「俺の中の“男”出てこいや!」と言って、(←高田延彦風に)
自分の中にある男性性を意図的に呼び覚ましたりすることもある。(^_^;)

 

そうすると、自分が男性になったつもりで、
急に男性的な目線からその物事を眺められるので、
良い意味で中和され落ち着く感じがする。

 

だから、いつもその辺はうまい具合に、
男性性と女性性を出したり、引っ込めたりして自在に使い分けている感じもある。
慣れてくると結構これは便利だな~って思う。

 

ただ、僕はこれから周りの女性を少しずつ見習って「女性の人生」というものを
その運命の男性と共にもっと深く体験してみようと思っている。

 

自分の人生を思うと、前半は男性性の強い女性だったが、
後半は女性性を強めていく女性なんだという気がする。


人生で二つのことを体験をできるというのは結構お得かも!と最近は思えている。
たまに、自分ってちょっと漫画『らんま1/2』に似てるな~って思う。

 

すべては運命の男性と出会えたおかげだから、改めて感謝の念を伝えたい。
最愛の人へ、僕(私)と出会ってくれて、本当にありがとう!

 

僕のようなおかしな人間もいるんだということを少しでも知ってもらえたらと思い、
こっぱずかしいけど、こんな話をしてみた。

 

それにしても神様ってほんと面白い人生のシナリオを考えるな~って思う。
もう天才作家としか言いようがない。

 

それに、人間って知れば知るほどほんと奥が深い。

 

読者の皆様、いつも応援あざまーす!٩( 'ω' )و

 

→ この顔文字とセリフの組み合わせは、ヴィーガン料理を作るのにいつも参考にしている動画レシピ「Peaceful Cuisine」の高嶋綾也さんのインスタより引用させていただきました。

www.instagram.com

たまたま見ていたら目に留まり、めっちゃくちゃ可愛いと思ったので敬意を込めて使わせていただきます。(^O^)/ それにしてもフォロワー数がスゴ過ぎるな‥‥。

 

♡愛を込めて♡

 

いつもありがとう
すべての存在に感謝☆彡

女性に生まれて良かった! その①

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前に少し話したけれど、僕は物心ついた時に、「本当は男として生まれたかったのになんで女なの?神様、僕の性別間違えちゃってない?」と心の片隅でどこか不満を抱いていた。

 

そのような感覚を抱いた原因の一つは、どうやら僕がこれまでの転生で男性ばかりを多くやってきていて、その名残りを引きづったまま今世で久しぶりに女性になったかららしい。そして、今世はその過渡期、移行期にあたる転生らしい。

 

そのことを透視してくれた方は、僕が過去世の一つで男性だった時、ムキムキのマッチョな「The 男!」という感じの風貌で戦士だったよと教えてくれた。(^_^;)

 

多分今の僕の女の姿を見たら、みんな想像がつかないくらいギャップがあるみたい。(苦笑)

 

最近は、運命の男性と出会ってから、急に以前よりも内面も外面も女性らしくになってきて、やっと自分が女性として生きていくことを素直に受け入れられるようになった。

 

その男性というのは、実は僕の魂の片割れツインレイだった。
ツインレイとは、どんな人にも唯一無二のパートナーがいるということを教えてくれる存在のこと。この世で誰一人として決して本当の意味で孤独になることはないということを実感するために神様が創造してくれた相手でもある。

 

一般的にはツインレイは地球の最後の転生で出会う人と言われていたりする。
でも、僕の単なる夢なのか、未来もしくは過去の世界をたまたま覗いてしまったのかわからないけれど、ある世界、もしくは統合の時代の全盛期には、ツインレイの男女が結ばれるのがごく普通のことで、それしか愛のあり方が存在しないという時代もあったということをなぜか覚えている。

 

また、ツインレイとは元は一つだった魂が二つに分かれているため、どこか似ている面もあるけれど、お互いが陰と陽というような真逆の性質を映し出す鏡にもなっている。
だから、その相手が男らしくあると、必然的に僕が女らしくなってしまうという仕組みになっている。
それに魂事体には元々性別はないので、そんな現象が起こるのだと思う。

 

幼い頃は自分が女性であることをあまり受け入れたくなかった。

 

例えば、小学生の時、女友達からある一人の男子が自分のことを好きだと言っていると教えられた時、最初は嬉しい気持ちもあったけれど、その後に突然自分が女として見られているということが現実として強く感じられ、すーっと心が冷めていく感覚があった。

 

すると、急にみぞおち辺りをひねられたような腹痛を感じ、
その後で生理的嫌悪感から吐き気を催し、えずく程の不快感を感じた。

 

その瞬間、自分は生涯そういったことを受け入れるのは無理なのかもしれないと思ったのを覚えている。

 

実際、それから僕は人知れず片思いの恋をしたり、芸能人にファンとしての憧れを抱くといった絶対に成就しない非現実世界の恋を楽しむことはできても、現実的に誰かと男女の関係になることを心からは望んでいないんだということに気づいた。
(でも、肉体が女性だからなのか、恋愛対象として惹かれるのはなぜか男性だけでした。)

 

そんな僕が、今不思議なことに昔あったその抵抗感がなくなり、自然と受け入れられるようになった。さらに、自分が女性であることに喜びすら感じられるようになり、人生で初めてたった一人の運命の男性に深く愛され、また僕もその相手を深く愛することの幸せを感じ始めた。その男性からの愛だけはなぜか特別で、全く生理的嫌悪感を感じずに受け入れられる、許せるという気持ちになれた。

 

自分の人生を通して、初めてそれを体験したけれど、
人間ってこうも180度考え方が変わるんだなと正直驚いている。

 

僕は実は10代の頃は全くスキンケアをしておらず、
20代になってからようやく母の薦めでお風呂上りに化粧水を始めたけれど、
それも正直やったりやらなかったりでいい加減に過ごしてきた。

 

毎日の習慣として真面目にやり始めたのは、
多分5、6年前くらいだったように思う。
同じくお風呂上りにドライヤーで髪を乾かすようになったのも、
それとほぼ同じ時期だった気がする。

 

ある時、そのことを友人に話したら、「えー、うそでしょ!」とすごい驚かれたりした。メイクも全然しないで平然と過ごしてきて、実はこれまでメイクが全然できなかった。

 

だから、ようやく最近になって、メイクの個人レッスンを受けてきた。
自分の顔や肌質、好みに合う化粧品、メイク道具の使い方を教えてもらったり、改まった席などで最低限のマナーとして必要な一通りのメイクはできるように一から丁寧に指導してもらった。

 

やってみると変化していく自分の顔が意外と面白く、初めてメイクの楽しさを知れた。
そのメイクの先生から、「季節や服装に合わせてどんどんメイクを変えて遊んじゃっていいのよ~!」とか、「せっかく女性に生まれたんだから、この楽しさを知らないのは勿体ないわよ!」と励まされ、人生を彩る一つの要素としてメイクという「遊び」を取り入れてみるのも悪くないな~ということを初めて素直に感じられたりもした。

 

さらに「メイクも実はアートなのよ!」と教えられ、身近な創造性を発揮する一つの分野として捉え直すきっかけにもなった。


また、今年に入ってからようやく日焼け止めを塗るようになったし、
本当に自分のケアに対してはびっくりするくらい無頓着だった。

 

大学生の頃は、眼鏡に短髪で、洋服にも興味がなくあまりにもダサ過ぎたせいか、
兄から冗談で「ハリー・ポッターに似てる!」と笑われたりしたこともあった。
確かに似てたから否定もできず・・・。(^_^;)

  

また髪が長かった時期は、鏡に映る自分の姿を見て「なんか落ち武者みたいだな~」と正直思ったりしていた。
妹にも「落ち武者っぽいよね?」と聞いてみたら、「うん…」と苦笑いしながら答えるくらい、本当にひどい有様だった。
多分自己肯定感が低く、自己愛が乏しかったのも理由としてあったのかもしれない。

 

でも、女性らしくあることが正直なんか面倒くさいというか、気恥ずかしい感じがしたのも事実だった。なんか変な気持ち悪さやストッパーがずっとあった。
この気持ちどうやったらわかってもらえるかな?
マジで男性が化粧したり女装するのとかなり近い感覚なんだけど…伝わるかな?

  

今は、たまにボディクリームを塗ったり、美白対策もしたりして、日常的にスキンケアを心がけている。
シャンプーにもこだわったり、お風呂上りに髪をドライヤーで乾したり、ヘアオイルを塗ったりともう昔の自分とは比べものにならないくらいいろいろやっている。

 

まっ、普通の女子ならそんなの当たり前にやっていることなんだろうけど‥‥。(苦笑)
でも、正直そういったケアは、ある意味で自己暗示みたいなものなので、程々にしておこうとは思ってる。

 

また、そんなことをするようになった自分を客観視して、
ふと男性の方がそういう面では楽だったな~とたまに思ったりする。

 

でも、本当のところ、運命の男性と出会わせてもらえたことで女性としてのそういった人間体験を味わうことができているとも感じているので、この今という瞬間に心から感謝している。
今は「女性に生まれて良かった!」と思っている。

 

自分が意識的に女性になろうとしたり、女性らしさに磨きをかけようと素直にそう思えるようになったのは、その運命の男性の存在なしではありえなかったからだった。

 

長くなってしまったので、次回に続きます。

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

♡愛を込めて♡

 

いつもありがとう
すべての存在に感謝☆彡

正義を掲げた時の怖さについて

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僕はこれまでの人生や過去世の経験を通して、様々なことを学んできました。

 

特に「正義」というテーマについては、僕の中でも常に大きな位置を占めてきました。

 

過去の歴史を振り返ると、宗教や人種、国など様々な価値観の違いによる対立、抗争、戦争が起きています。そして、今もそれが続いています。
その背景には、自分の持つ信念が絶対的な正義に基づくものであるという思いこみ、
偏った考えに執着しているからだという気がします。

 

果たして絶対的な正義などあるのか?ということを立ち止まって考える余裕も無いくらい何かを盲信しています。

 

たとえ相手や誰かの正義や信念に同意できなかったとしても、なぜそのような正義や信念が生まれるのかといった理由を、その背景や歴史、過程、時代の潮流などといった観点から理解しようとすることは可能です。

 

また、僕はそのこと自体は否定はしませんが、自分の正義を貫こうとして、時に意図的に周囲を巻き込んで同調させたり、同化させようというする働きがあることも知っています。

 

でも、その奥に潜むのは、多数派にならないとそれを誇示できないという不安がどこかにあるからなのかもしれません。

 

一般的に数が多ければ強い、正しいということを感じやすいので、そうような行為に走ってしまいがちですが、実はそれは錯覚である場合もあります。

 

過去の歴史や、社会心理学における集団心理(群集心理)などについて勉強していくと、悲劇が起きる背景にはそういったことが深く関係しています。

 

同調させる、群れるという行為の陰には実は不安があり、それによって本人も気付かぬまま無意識に突き動かされていることがあるように思えるのです。

 

そのこと自体が、その正義と呼ばれるものの本質的な弱さ、脆弱性を露呈しているということに気づいていません。

 

それに、本人が良かれと思った行為であったとしても、
それがいつの間にか独善的になっている場合もあります。

 

だから、僕は常に自省する、自分を省みる心を持ち続けることの大切さを伝えたいと思っています。

 

また、それと同時に正義というのは相対的なものであるということを知っているのと、そうでないのとでは生き方が全然違ってくるとも思っています。

 

僕は他者が正義を掲げて行動している姿を見た時、「そうなるべくしてそうなっているんだな」、「今はその人にとってのベストがそれなんだな」、という目でただ冷静に観察し眺めています。

 

その人なりに人生を生きてきて、数ある選択肢の中で今それを正義だと信じることがベストだと思っているという風に感じ、その人の一時的な仮の姿、過程の一つであるという目で見ています。
そのような考え方に至るような原因があって、今そのような結果、行動が生まれているのだということは何となく理解できるからです。

 

それが良いか悪いかという個人的な判断を抜きにすれば、十分それ自体は理解できます。

 

だからといって、それにあえて賛同するということもありません。


僕はただ自分の道を行くというだけで、安易に他者のフィールドに足を踏み入れたり、
恩着せがましく世話を焼いたり、深入りするということはしません。

 

ただ中道を行く、見守るという心のあり方を心がけるようにしています。

 

また、別の場合では、ある人の発言が周囲から正義として賞賛され、
本人も想像していなかったような思わぬ大勢の支持を得てしまうこともあります。
そして、いつの間にか救世主のように担ぎ上げられ、
本人も引くに引けない状況に陥って悲劇を生むという場合もあったりします。
(これは過去に起きた数々の歴史的な悲劇を象徴しています。)

 

その出来事が生まれたのは、その人の発言、思想が引き金になったということも言えますが、それを担ぎ上げた集団一人ひとりの責任でもあったりするのです。つまり連帯責任であり、「自分で蒔いた種は、自分で刈り取る」というように最終的には自分に返ってきます。

 

だから、僕たちは常に自主独立した存在としてある必要があると思うのです。
それが平和に生きる一つの方法だと僕は思っています。

 

僕はたまにこの集団心理というものもちゃんと理解しないと怖いなと思うことがあります。

 

自分の意見を持たず、他者の意見に盲目的に飛びついたり、
無意識に同化、同調している人たちも沢山いるからです。

 

本人たちはなぜそのことを自分の人生に取り入れるのか、賛同するのか、その本質的な部分に目を向けず、大勢の中の一人という役を勝手に引き受けてしまっています。それはまるで操り人形のようであり、あまりにも可哀想に見えます。

 

そんな自分にしないためにも、一人ひとりが自分の存在をきちんと見据え、
意識的になって行動すること、自分の正義や信念を時に省みる冷静さを持つこと、
安易に他者の意見や情報に惑わされず自分自分自身を保つこと、
そして、最終的に自分の中においてのみ正義を追求していってほしいと願います。

 

真に自分の正義や信念を貫こうとした時、それはたった一人の人間の人生の中で体現されるものであっても十分であるという気がします。

 

実は、自分の目から見える現実というのは、自らの心の投影です。
つまり、周囲で争いが見えるのは、自分の心の中にある信念に対立がある証拠でもあります。

 

神様は自分の心を平和にする、まず自分自身を癒し救う人を好むのだという気がします。

 

だから、外側の世界に見える不毛な戦場(正しさの押しつけ合い)からは早々に離脱することをおすすめします。なぜなら、永遠に勝敗がつかないからです。

 

そのことへの気づきを得るという意味でも、「正義」について一度考えてみることには価値があると思います。

 

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正義とは何か?マイケル・サンデル教授の講義がすごい!

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今日ご紹介するのは、哲学者、政治哲学者、倫理学者でもあり、
ハーバード大学の教授を務めるマイケル・サンデルという人物です。

 

彼の行った講義は「白熱教室」というタイトルで数年前にテレビでも取り上げられ、一時期話題にもなりました。

 

www.youtube.com

 

当時僕はこの講義を聞いて、「この世に絶対的な正義はない」、「悲劇が起こるのは、正しさの押しつけ合いによるものだ」ということを改めて感じました。
この講義を聞いてどう思われるかはきっと人それぞれだと思いますが、僕はそう感じました。

 

さらに、その講義から得られる感想、理解という点においても絶対的に正しいという正解そのものが存在しないということがわかりました。自由に受け取ってよいというのが答えのように思えました。

 

ハーバード大学の講義?」と聞くと、少し敷居が高くて敬遠してしまいそうになるかもしれませんが、このサンデル教授の講義の内容は非常に入念に計算され尽くされており、わかりやすく筋道が立てられているのできっと理解しやすいと思います。

 

何となく難しそうという先入観を捨てて一度聞いてみると、自分でもハーバード大学の講義が聞ける!理解できる!ということに驚かれると思います。冒頭の内容などは特に聴講者を惹きつける工夫がなされていて大変面白いです。

 

学びを求める者には等しくその機会が与えられるという教育の原点において、
この講義の内容は大変有意義で貴重なものであると思います。

 

僕はこの講義を聞いて、改めて絶対的な正解、答え、正義というものがないということを感じ、当たり前、常識といった観念が、実は様々な立場や条件の違いによって変わってしまうという現実に直面することになりました。

 

それは、自分が信じて疑わなかった、それまで大切にしてきたものを突然奪われるかのような感覚もしました。でも、それは良い意味での揺り起こしが頭や心の中で起きている証拠でした。

 

やがてそれは自分にとって新たな視点や、今までにない自己認識を生むという機会にも繋がりました。

 

何が正しいか?ということが非常に曖昧なものであるということを痛感させられ、
答えがないことを受け入れること、つまり、「答えがないということがそもそもの答えだった」という矛盾するような結果が得られるということを知りました。

 

人によっては、「じゃあ、この講義で行われた議論は一体何のための議論だったの?」と疑問を抱くかもしれませんが、その一つは、自分が信じている正しさというのものが一体何なのかということに気づくことだと思います。
意外と普段生活している中で、自分が何を正しいと思って行動を決めているのかということに気づかず無意識に行動している場合があります。

 

そんな時、何か一つの命題について議論を交わすことで、自分とは異なる、もしくは真逆の他者の意見の存在を知り、自分の意見というものがより明瞭になります。
また、どの程度その意見を強く保持しているのか、(固執しているのか)ということにも自然と気づくことにもなります。
議論の結果、人によっては自分の意見が変わるかもしれないし、変わらないかもしれません。
でも、そのことに気づくということが、この議論の主旨、目的、気づきなのだろうと僕は理解しました。

 

そして、その時考えうるすべての意見、信念、思想、考え、主義、主張に目を向けた上で、そこに判断を下さず中立的に捉えるとは一体どういうことなのかを自分の中で自問する機会にもなりました。

 

それが議論を行うことの最大の目的だと僕は思っています。

 

議論は本来ある一つの答えを導き出すために行うものだと思えますが、
このサンデル教授の講義を聞くと、答えがないということに気づくという不思議な現象が起こります。
ただ、それでも議論を続けていく価値はあるとサンデル教授が言葉を残しているのは、
そういう意味なのだと捉えました。

 

そして、人は誰しも自分の信じる正義、信念にしか従えないのだという限界を知ることも人生を生きる上で大切なことだと思いました。

 

著書もいくつか出ていますので、興味を持たれた方は是非チェックしてみて下さい。

 

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

  

  

もう少し正義について僕なりに思うことを語りたいので、次回に続きます!

 

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Coco壱番屋の「特定原材料を含まないカレー」を食べてみました!

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つい最近、出掛け先で外食することになりました。

 

でも、その近辺にはヴィーガンベジタリアン向けのレストランがなかったので、
事前にネットで情報を得ていたCoco壱番屋の「「特定原材料を含まないカレー」を食べることに決めました!

 

Coco壱番屋の「特定原材料を含まないカレー」は、アレルギー体質の方に配慮し、
卵、乳、小麦、そば、落花生(ピーナッツ)、えび、かにを含む特定原材料を使用していません。

 

また、肉、魚などの動物性のものも含まれていないので、
ヴィーガンベジタリアンの方でも食べることができます。

 

ライスは200gと100gの二種類あり、私はライスを200gで注文しました。


運ばれてきた時は、このような感じでした。↓

 

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レトルトパウチに入ったカレーが2袋温められて運ばれてきました。


開封して別皿のご飯にかけるとこんな感じです。福神漬けも添えてます。(^_^)/ ↓

 

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お味は普通に満足のいく美味しさで、ペロっと全部いただきました!(*´з`)
ちなみにお値段は「税込412円」でした。


店舗内でこの「特定原材料を含まないカレー」だけ持ち帰りで購入することも可能です。

 

とてもヘルシーなので、ヴィーガンベジタリアンの方だけでなく、
ダイエット中だけどカレーが食べたい!と思った方にもぴったりのメニューだと思います。

 

またアレルギー体質の方や、アレルギーのお子さんを持つ方にとっては、特にありがたいメニューだと思えたので、思わずCoco壱番屋さんの企業努力に感謝したい気持ちになりました!


もし機会がありましたら、是非お試し下さい。(^_-)-☆

 

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お金には変えられないものに気づけた!

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私は2018年4月から1年間の期限付きで無職になることを決め、
その間、自分の好きなことだけをして暮らしてみて、
人生にどんな変化が起きるのかを試してみようという実験をしています。

 

この無職生活に入る前の2年間である程度の貯金を作っておいたので、
今はそれを切り崩しながらの生活ですが、普通に毎月同居している両親に渡す生活費の他に
自分のやりたいことをするために使える十分なお金もあって、
今のところ何不自由なく暮らせています。

 

でも、無収入になったことで、
買い物をする際に、「これは本当に必要なものか?」「長持ちするか?」というのを
より吟味してから買うようにもなりました。

 

欲しい!買いたい!と思った瞬間に衝動的に買ってしまうこともありますが、
たまに、「ちょっと寝かせてみよう!」と、あえてすぐには買わずに時間が経っても欲しい気持ちが変わらないかどうかを確認してから買うこともあります。

 

そんな暮らしを続けて半年が経った今、
お金には変えられない、お金以上のものがあるということに気づくようになりました。

 

なぜ急にそんなことを思ったかと言うと、
お金以外のもので自分が報酬を与えられていることに気づき、
そのことで幸せや感謝を感じられる機会が増えたからでした。

 

例えば、つい最近も買い物をしていたら、思いもよらず「これは、おまけです!」と言って、お菓子や何か物をふいにもらったりすることがありました。
(それが後々自分にとってすごく重宝する物だったんです!)

 

また何かをふと欲しいと思っていたタイミングで、
偶然誰かからそれをタダで譲り受けるということもありました。

 

他にも私が欲しいと思っていた商品を母が激安価格で見つけてくれたりしました。
それは、なんと60円のオーガニックコットンのTシャツでした!(◎_◎;)
びっくりですよね。クーポンを使ったらなんかその価格になったそうです。ほぼタダです!

 

他にもサービスを利用する時、通常の値段よりも割引してもらったり、
無料で何かを経験させてもらえる機会もありました。

「こんな素晴らしいものをただでシェアしてもらっちゃっていいの?」
ということが身の周りに溢れているということに気づきました。

 

また、昨年はほぼ実をつけなかった庭の梅の木が、今年はなぜか沢山実をつけてくれました。おかげで収穫した大量の梅の実を、父が梅干しとして漬けてくれて、さらにその過程で梅酢も大量に作れました。梅酢はトマトにかけると超美味しいです!(*´ω`*)

 

他にもブルーベリーや葡萄、金柑、梨などの庭の果樹が今年は例年にも増してよく実をつけてくれました。中でも梨は群を抜いていっぱい実をつけてくれたのですが、味がいまいちだったのがちょっと残念でした。でもそれ以外は、どれも美味しくいただくことができました。自然の恵みにほんと感謝でした。(*´з`)~♪ 

 

今年は親戚からもいろんな贈り物が届きました。

 

さらに、なぜか友人や家族に奢ってもらえる頻度も増えました。

 

特にびっくりしたのは、私の妹が初めて私に旅行をプレゼントしてくれたのです。
旅費の負担だけでなく、宿の予約、行程決めまで全部やってくれました。
もう至れり尽くせりで思わず感謝して、「今回は甘えさせてもらうね!」
とその優しさを有難く頂戴することにしました。

 

いつも自分の相談に乗ってくれたり、励ましてくれる友人や、時に本音で厳しいアドバイスをくれる友人もいます。また、退職した前の職場の元同僚たちと今も繋がっていて、たまに飲み会に誘われたり、今の私の活動を応援してくれていたりもします。

 

つい最近、友人が奢ってくれて、私が「やっぱりきちんとお金を払いたい!」と言うと、「今度機会があったら爪を貸してよ。それでお相子にしよう!」と言ってくれました。

 

実は、その子は今趣味でジェルネイルを身近な周りの人たちにしてあげていて、その腕をもっと磨くために、いろんな人の爪でネイルをやらせて欲しいとのことでした。
その子にとっては、私が爪を貸すことが奢ったお金と同じ価値があるということなんだなと思いました。


でもよくよく考えると、私は奢ってもらった上に、ジェルネイルをタダでしてもらえるということになり、私の方が得をしちゃってるような・・・とも思いましたが、その子にとっては、それで十分満足なんだそうです。


そんな風にして、お金ではないものやお金には変えられない大切なものを、実は私は沢山得ていたんだという当たり前のことに気づきました。

 

それまで私は何か行動するときに、これが自分の仕事に繋がるだろうか?とか、
収入アップになるだろうか?など損得勘定で、報酬をお金という形で密接に関連付けて考えてしまう傾向にありました。

 

でも、最近になってお金以上のもの、お金には変えられない喜びを
自分が感じられるようになってきていることに気づきました。

 

それは、自分の身近にいる周りの人たちのちょっとした助けになったり、
何かを通して喜んでもらえたりすることでした。
時に自分が甘えさせてもらうことも相手を喜ばせることに繋がっているんだということも感じました。何となく受取り上手になることを教えられている気もしました。

 

お金はあればあったで幸せですが、
お金だけが自分を豊かにする手段ではないということを最近より一層感じ始めました。

 

それに自分のしている行為が果たして正当なお金として評価できるものなのかということも正直疑問に感じたりもしました。
お金ではその価値を判断できないこともあるのかもしれないと、ふと思ったりしました。

 

そうなると、お金ではない対価として、自分が何かしたことで誰かから感謝されたり、誰かの支えや必要な存在となったり、ちょっと笑顔を見せてもらえたりすることであってもいいのかなと思えました。

 

無職生活をしてみて、私はお金ではない形で知らず知らずのうちに周囲から沢山の報酬を得ていた自分というものに初めて気づくことができました。

 

この気づきや発見はこれからの人生でも大切にしていきたいな~と思っています。(#^.^#)

 

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中国桂林旅行 その④

『畳彩山』という小高い丘くらいの山にも登りました。展望台からの眺めはこんな感じです。遠くに山々があり、街並み全体をよく見渡せました。↓

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展望台を少し下ったところに、有料の滑り台があります。童心に帰って、家族みんなでその滑り台で下まで降りることにしました。専用の軍手と下半身を保護する厚手の腰巻きをつけてもらい、いざ出発!(-ω-)/

 

自分の足を使って速度を自由に変えられるので、全然怖くなく普通に楽しめました。(≧▽≦) ♪

f:id:syakadou77:20180917174414j:plain 滑っている最中に撮影!(*^^)v

 

そして滑り台の出口に着くと、「待ってました~!」と言わんばかりにお土産をすすめるおばちゃんが近寄ってきました。わっ、ネズミ捕りみたい。(^_^;)
即「ノーサンキュー!です。」と断りましたが、もしこの滑り台を利用される方はご注意下さいね。

 

 『木龍湖公園』は建物と自然との調和が美しかったです。中国らしい風景だな~とも思いました。↓

 

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f:id:syakadou77:20180917175425j:plain 蓮の花も見頃で綺麗でした!(*´ω`*)

 

『正陽街』という街中を自由行動で散策する時間もありました。日本でいうところの原宿みたいな雰囲気で、結構賑わっていて若者が多い感じでした。↓

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この『正陽街』を出て徒歩で少し行った先に、『日塔と月塔』という二つの塔が建っている名所もありました。↓ 

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すべては紹介しきれませんでしたが、ざっと旅行の様子はこんな感じでした。
長々と4編に渡ってしまいましたが、最後まで目を通していただきありがとうございました。<(_ _)>

 

最後に、番外編です!(。-_-。)

 

【注意!】
お食事中の方や潔癖症の方、ちょっと汚い話が苦手な方は、ここから先の内容はスルーして下さい!↓

 

<桂林のおトイレ事情>


桂林漓江下りの船着き場へ向かう途中、トイレ休憩でガソリンスタンドに立ち寄りました。
私はその時トイレには行かなかったのですが、母はそこのトイレに行き衝撃的な光景を目にしたそうです。(◎_◎;)

 

なんと、そこのトイレには個室の扉がなく、(仕切りは一応あったみたいです。)
水路のような溝があるだけで、なんとそこに用を足す仕組みになっていたそうです。
また、その水路も水が流れている訳ではなく単なる溝で、トイレットペーパーはもちろんありません。
つまり、トイレに入っている姿だけでなく、他者の排泄物までが丸見えの状態になっていたそうです。
母もさすがにそれを見てトイレに入る気が失せてしまい、そのままバスに戻ってきてしまいました。(-_-;)

 

空港やホテル、観光名所、食事処などのトイレは普通に水洗でしたが、街から少し離れた田舎に行くと、日本人には信じられないトイレがいまだにあるみたいです。

 

余談ですが、祖母が20年程前に旅行で桂林を訪れた際は、空港内のトイレですらそんな感じだったそうです。びっくりですよね。今、この時代に来れて良かった~って思わず思っちゃいました。(^_^;)

 

また、普通に街中にある喫茶店でお茶をした際に、母がトイレに行ったら、
「大きい方はご遠慮下さい」という貼り紙が貼ってあったそうです。(゚д゚)!


「そりゃないよ~」とちょっと可哀想な感じもしましたが、まだ一部の地域ではインフラ整備が遅れているところもあるようでした。

 

海外旅行でおトイレ事情が気になる方への事前情報として、一応伝えさせてもらいました。(´∀`*)ウフフ


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中国桂林旅行 その③

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なんといっても、この旅行の見所は、世界遺産にもなっている『桂林漓江下り』でした!(^O^)/

 

写真の通り、珍しい形をした山々が至るところにそそり立っていて、自然の造形美に思わず見入ってしまいました。


この日は曇り空でしたが、ガイドさんによると晴れよりも曇りの日の方が雰囲気がより出て、山々がより美しく見えるということだったので、ラッキー!と思いながらじっくり堪能しました。(#^.^#)

 

f:id:syakadou77:20180917171331j:plain 鵜飼いのおじさんの後ろ姿をパシャリ!

 

また、『葡萄山』という場所を訪れたのですが、そこは現在もヤオ族という少数民族が暮らしている土地で、観光客にその伝統や文化、生活の様子など展示・紹介してくれていました。

 

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実は、ヤオ族の女性は世界一髪が長いと言われていて、18歳の成人を最後に髪を生涯切らずに過ごすそうです。また、幼い頃から発酵させた米のとぎ汁で洗髪していて、老齢になっても髪の色が黒く美しいままを保てるのだそうです。↓

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実際に対面して写真も撮らせてもらいましたが、この方々は見た感じ70歳以上に思われたのですが、本当に艶のある美しい髪をしていました。ちょっと見ていて違和感があるというか不思議な光景でした。

 

その原因を科学的に分析したり、このヤオ族の遺伝子を研究したら、将来的に年を取っても白髪にならない方法が見つかるのかな~なんてふと勝手に思ったりしてしまいました。

 

展示されていたヤオ族の民族衣装もすごい素敵でした!(*´з`)~♪ ↓

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葡萄山の展望台からの眺めです。↓

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漫画みたいな木の上のお家もありました。↓ (>_<)

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食事で出された桂林料理は野菜中心の油炒め系が多かったです。
青菜炒め(日本ではみかけない感じの地元の葉物野菜でした。)や、太めのお米の麺で作ったビーフンのような料理、花巻なんかが個人的にすごく好きでした。
スープの出汁も昆布を使っていたり、日本人好みに味付けもしてくれていたようで、毎食美味しくいただけました!

  

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『穿山岩』と呼ばれる鍾乳洞の中に入った際はライトアップがすごくて、あまり日本では見かけないようなギラギラした感じが逆に面白かったです。(^_^;) ↓

 

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『茶芸館』を訪ねた時は、いろんな種類のお茶を試飲させてもらいました。
その中でも特に気に入った、ここ桂林の土地でしか育たないという貴重な金木犀で作られたお茶「桂花王茶」(けいかおうちゃ)をお土産に買って帰りました。
すごい香りがよく、シミ・シワなどの皮膚の老化防止に効能があるそうです。

 

f:id:syakadou77:20180917172222j:plain 桂花王茶の缶、なんかポストみたい‥‥(-.-)

 

桂林を訪れた6月は、ちょうどライチが旬の時期でした。そのため、ガイドさんの粋な計らいによって元々行程にはなかったのですが、途中八百屋に立ち寄らせてもらい、ライチなどいろんな果物を買ってその場で食べさせてもらいました。

 

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そのライチは普段日本にいる時に食べているものとは全然違って、瑞々しく最高に美味しかったです!

f:id:syakadou77:20180917173103j:plain \(^o^)/わーい!私の大好物♡

 

次回(ラスト)に続きます!

 

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中国桂林旅行 その②

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母の荷物が無事手元に戻り、さらに合流もできて安心し、
「あー良かった!」と思ったのも束の間、私はチケットに記載されている時間を見て、
「もう飛行機が出発するまで15分くらいしかない!」と言い、搭乗口まで両親を急がせました。

 

さらに、よりによって、手荷物検査場から搭乗口までがやたらに遠く、(多分数百メートルあったように感じられました。)みんな所々駆け足で向かいました。

 

搭乗口に到着してみると、チケットに記載されていた搭乗口が変更になったという貼り紙が出されていて、さらにまた変更された搭乗口まで移動するはめになりました。

 

正直「も~、なんでこんな時に搭乗口が変更になるの~!!」とさらに焦りましたが、
何とか変更後の搭乗口の前まで辿りつきました。

 

そして、搭乗しようとしたら、
今度は父が「パスポートがない!」と言い出しました。Σ(゚д゚;) ヌオォ!?

 

その場でバッグの中を何度も見てみたのですが見当たらず、
もしかして手荷物検査場に置いてきたんじゃないの?という話になりました。
せっかく走ってようやく搭乗口まで来れたというのに、
父はまた手荷物検査場までトンボ帰りしていきました。ウーン (Θ_Θ;)

 

今度は母と私の二人が取り残される形になりました。
もうこの時私は「完全にオワタ‥‥」と思い、
私は飛行機に乗り遅れた場合のことを想像し始め、その対応策まで考えていました。

 

しばらく待ってると、ふと母が「もう一度バッグの中を見てみたら?」と言ったので、
私が父のバッグの中を調べてみたら、なんとパスポートが出てきたのです!
Σ(゚д゚;) ヌオォ!?【Pert2】

 
多分父も焦っていて、ちゃんと探し切れていなかったようでした。

  

そこで、私はすぐに手荷物検査場まで走り、係員二人と一緒に探し回っていた父を見つけると、
パスポートがあったことを伝え、係員の方たちには表情とジェスチャーでその旨をお詫びをして、
再び搭乗口へと向かいました。

 

この時ばかりは普段足が悪く走ることのない父も火事場の馬鹿力で
私と一緒に搭乗口まで全速力で走っていました。スゴォ!(゚Д゚ノ)ノ

 

ようやく搭乗口に三人がそろい、ギリギリセーフで飛行機に乗ろうとしたら、
係員に「Wait!」と言われ引き止められました。

 

一瞬「まだいけるでしょ?」と思いましたが、
その後すぐに、「あっ、もう飛行機が出発してしまったんだ‥‥」と思い直し、
落ち込みました。(_ _|||)ガーン

 

でも止められた理由をよく確認してみると、私たちの乗る便が出発するまでまだ30分弱あったからでした。
係員は「あなたたちの乗る飛行機の搭乗はまだ始まってないから、待ってください」という意味で「Wait!」と言っていたのでした。

 

そこで、初めて私はチケットに記載されている時間を出発時間だと勘違いしていたという事実に気づきました。

 

本当は記載されていた時間は「搭乗開始時間」だったのです。さらに、その時ちょうど前の便の搭乗が遅れていて、記載の時間が過ぎていても私たちの便の搭乗がまだできない状態だったのです。

 

そして、その瞬間、あんなに父を走らせてしまったことを申し訳なく思いました。(>_<)ゴメン!とーちゃん!

 

言い訳ですけど、日本国内の航空チケットでは出発時間と到着時間しか記載されていないので、搭乗時間だけが記載されているというその航空チケットの記載方式に慣れていなかったんです。

 

よく見ればちゃんと「Boarding time」と書いてあったんですけどね。苦笑

 

正直そんな阿保な話あるかって思われるかもしれませんが、
最初の母の一件があってから全員が冷静さを失っている状態だったんです。

 

なので両親も私の言葉を鵜呑みにしてチケットの内容を全く確認していませんでした。

 

本当にこの時は全員がパニくっていて、
それぞれ一つずつ何かしらトラブルを起こしていたんですね。(^_^;)

 

ほんと思い込みって怖いな~と、冷静になることの大切さを痛感させられました。

 

その出来事があってから、乗り継ぎ便の機内の中で出発を待つ間、ようやく全員がほっと一息つけました。
行きの移動でこれだけいろんなハプニングが立て続けに起こったので、この先が思いやられるな~とも思いましたが、その頃にはもうさっきまで出来事も笑い話になっていて、その後は特に大きなトラブルに見舞われることなく普通に旅行を楽しめました。

 

皆さんはこんなことにはならないとは思いますが、

 

・手荷物を機内に忘れないように
・焦っている時こそ冷静に
・チケットの搭乗時間と出発時間の記載を見間違わないように
(ちなみに利用した航空会社は「中国東方航空」と「上海航空」です。)

 

して下さいね。(^_^)/

 

それから、あの時、助けて下さった上海空港の職員の方々にはホント感謝です!
中国の職員の方たちは皆本当に親切でした!
日本人として迷惑をかけまくってすみませんでした!m(_ _)m

 

次回はいよいよ旅行のお話です。ここにくるまでなっが!(゚д゚)!

 

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中国桂林旅行 その①

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2018年6月に両親と私の三人で中国桂林に旅行に行ってきました!
(ここは、年間で観光客が5000万人も訪れるという中国最大の観光名所です。)

 

3泊4日の団体旅行だったので、あっという間でしたが個人的にすごい良かったです。(^O^)/

 

私は幼い頃から水墨画が好きな母に連れられて、たまに一緒に美術館へ水墨画を見に行っていたので、その題材としてよく描かれる桂林の地を訪れることはすごい楽しみでした。
あの山々の感じというか雰囲気は、世界中でも多分ここ桂林にしかないとも思っていたのですごく貴重な景色を見られて最高でした。

  

ただ、初日桂林までの移動中に思わぬハプニングが起こりました。il||li(;´д`)il||li
まずはその時のお話からご紹介します!

 

私たち家族は、旅行に行くにあたって全員荷物を最小限に抑えてコンパクトにまとめていたので、成田から飛行機に乗る際は荷物を預けずにすべて手荷物として機内へ持ち込みました。

 

実は、成田から上海を経由し、乗り継いで桂林まで向かうことになっていたのですが、
事前の情報として、乗り継ぎの際にロストバゲージがよく起こるということを聞いていたので、それを防ぐためという目的がありました。

 

また、うちの家族の中では、以前から飛行機に乗る時に荷物を預けると、降りた後にそれが運ばれてくるまで待つのが嫌なので、基本的に荷物を預けないようにするという習慣がありました。

 

まず、成田から上海に降り立つと、飛行機から連絡バスに乗って空港へ向かいました。
上海空港は飛行場がとてつもなく広くて、バス移動で空港まで10分以上かかりました。
そして、空港について入国審査を受ける直前、母が自分の荷物を機内に置き忘れてきてしまったことに気づきました。Σ(゚Д゚)ハッ

 

慌てた母はすぐにそばにいた中国人の係員に片言の英語で事情を説明し、その係員と共にいきなりどこかへ探しに行ってしまいました。


どこで落ち合うかとかそういった話も一切することがなく、突然母がいなくなってしまったので、取り残された父と私は唖然というか茫然としてしまいました。(´ヘ`;)・・・

 

元々母は忘れっぽい性格で、日常的にいろんなものを置き忘れるので慣れてはいましたが、
本人も荷物を機内に置き忘れるというのは人生で初めてだったらしく、
(それも、唯一持ってきた全荷物が入ってるやつよ~ん。)
自分でも少しびっくりしたみたいでした。┐(-。ー;)┌ヤレヤレ

 

荷物を預けずに機内に持ち込んだことがかえって仇となってしまい、
いきなりとんだハプニングに見舞われたと私は少し気が動転しました。

 

その後、私と父は、母が同じ場所に戻ってくる可能性を想定し、
入国審査前の場所でしばらく待つことにしました。
(この時、全員携帯電話を持っていなかったので、連絡する手段がありませんでした。)

 

けれど、次の乗り継ぎの便の時間も迫ってきたので、やむを得ず二人で先に搭乗口まで向かうことにしました。

 

そして、幸いにもその途中の手荷物検査場を出たところで、
偶然母とばったり出会い、そこで無事に合流することができました。
これは本当にラッキーでした。(^_-)-☆
あんなに広い上海空港で同じ時間に検査場を通過していて、
さらに私と母が検査を受けたレーンが隣合っていたなんて、
まさに奇跡(シンクロニシティ)としか思えませんでした。
神様ありがとー♡!(#^.^#)って思いました。

 

合流した時、母は機内に置き忘れた荷物をちゃんと受け取っていました。

 

後で母が教えてくれましたが、忘れたバッグを受け取る際、
その場所に自分以外にも相当な量の忘れ物が届いていたそうです。
結構機内に忘れ物をしてしまう人っているみたいです。

 

しかし、一難去ってまた一難、この後もまたとんでもないハプニングが起きたのです!(◎_◎;)

 

続きはまた次回!

 

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現代の覚醒者エックハルト・トール

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僕は約1年程前に、偶然動画を通じて、エックハルト・トールという人物を知りました。

この方は日本ではあまり知られていないようですが、
アメリカではとても人気のある精神的指導者として著名な人物です。

 

いくつか動画で講演の様子などが紹介されていますので、
興味のある方は是非ご覧下さい。↓

(ユーモアを交えながら悟りの本質を丁寧にわかりやすく教えてくれています。)

www.youtube.com

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彼の話の内容を聞く限り、僕は現代における覚醒者、悟りに至った人物の一人として認知しています。

 

彼の語る言葉には、悟りの概念をかみ砕いてわかりやすく伝えようとする優しさ、愛が感じられます。今でもたまに動画を見て、その内容を大変興味深く聞き入っています。

 

また、彼は「 さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」と、
「ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる」の二冊の有名な著作も書かれています。↓  

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

 

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

 

僕は、「ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる」の方を読みましたが、
まさに真の悟りの概念を伝えている名著だと思いました。

 

人によっては最初は難解に思えるかもしれませんが、
何度も読み込んだり、自分の人生経験を重ねていく中で、
時折その本を読み返してみると理解ができる箇所が生まれてくるような、
悟りの世界に興味がある方には、バイブルとなる良書であると思います。

 

僕がエックハルト・トールに惹かれたもう一つの理由は、
彼が悟りに至った経緯、出来事についての話を聞いた際、
僕が一時的な悟りの状態に達した時と大変よく似ていたためです。

 

僕はなぜか人生の自然な流れの中で、苦しみの最果てに自分を導いてしまいました。
その結果、幸いにも一時的に悟りの世界を覗くことになりましたが、
一歩間違えれば自殺していたようなかなり危険な精神状態でした。

 

僕はその経験があったので、みんながみんなそのような苦痛の中で悟りに至らなくてもよいということを思いました。

 

だから、そういった霊的指導者たちは、自分の過去の経験を生かし悟りの本質をわかりやすく伝えようとしてくれているのです。

 

僕の場合は、性格的にとことんまでやらないと自分の信念を曲げないという頑固さがあったせいで、正直余計にこじらせてしまった感がありました。
別にそこまで行かなくても、その前に気づいたって良かったのにな~というのが、今になって思うことです。

 

人生を生きる上で悩みや苦しみを感じる時、エックハルト・トールのような人生の先輩の話から生きるヒントを得るというのも一つの方法だと思います。

 

この世の出会いはすべて必然であると考えると、
つい最近になって彼の存在を知ったということは、
何かとても縁を感じるというか、シンパシーを抱きます。

 

僕の場合は、一時的な悟りしか経験せず、またいつもの精神状態に戻ってしまいましたが、エックハルト・トールの場合は完全な悟り、覚醒に至っているので、もう元の精神状態には戻らない域に達しています。

 

それが、僕とは大きく違います。

 

人は、稀に急激に悟りに至るというケースもあるかもしれませんが、
その心理的な衝撃というか、精神的はショックは計り知れません。

 

なので、通常は悟りと普通の精神状態を自然に交互に行き来したりすることを繰り返して、
徐々に永久的な悟りへと至っていくというのが、一般的な流れというか、
変化が緩やかで精神的なショックが少ない安全な方法だと僕は思っています。

 

いきなり完全に悟ってしまうと、人によっては自分の意識以外この世には何もない、
目に見える宇宙のすべてが突然崩壊してしまうかのような極端な感覚に陥ります。
そのことによって、ものすごい虚無感と孤独感に襲われ、場合によっては生きる意味を見失う場合もあったりします。

 

この世が人間としての体験を味わうためのいわゆる幻想の世界であるということに対して完全に疑いの余地がなくなってしまうのです。
そして、もうその世界のすべて、あらゆることに対して執着するということがなくなります。

 

そうすると、まるで種も仕掛けもわかっているマジックを見せられているような感じでこの現実世界が見えてしまうので、様々な感情や経験それ自体をリアルに心から楽しめなくなるのだと思います。

 

そのため、その死後「解脱」という選択肢が生まれ、
自由意思によってその道を辿るのだろうと僕なりに解釈しています。

(たとえ解脱したとしても、本人が希望すれば再び地球に転生することも可能だといわれています。)

 

これから先の時代は、ユニティ(統合)の時代と呼ばれていて、
この目覚めというのをより多くの人が経験していくような流れに入っていくだろうと思います。

 

この現実世界に没入することなく、別の視点から俯瞰的に眺めるもう一人の自分と共に人生を歩むような感覚を得るということです。

 

実は、もうそのように生きている人たちは沢山います。
そしてこの現実世界に目覚めても、人生を楽しむことはできます。
それは愛に満ち溢れた世界の中で純粋に創造を楽しむという生き方です。

 

究極を言ってしまうと、今自分の目から見えている世界というのは、自分の意識が創造したもので、さらに私たちはその中で自作自演のドラマを演じているに過ぎないのです。

 

いずれどの人もこの領域に達するのだと思いますが、感情体験というのは人間の生を通して得られる最大の喜びでもあるので、「今を生きる」という言葉を大切にしながら、
その人のペースで人生を謳歌し目覚めていくことが一番なのだと思っています。

 

ついでに言うと、悟りに至るのが早い方がいいとか、今世で悟ったら勝ち組というのは、実はエゴが仕掛けるまやかしだと僕は思っています。

 

悟りとは自分の存在の本質、神性に「今この瞬間に気づくこと」でもあります。元々自分が備えていたものに、改めて「あっ、最初からそこにあったんだ!」と気づくということです。

 

元々持っていたものに早く気づくのがいいかどうかというのは、自分の許可次第というか、そう意図すればそうなるだけであって、いつ気づくのかさえも実は今この瞬間の自分自身が決めているのです。

 

「すべては自分の意識が決定している」とするならば、悟りを得ることに価値を見出しているのも自分ということになり、いつ悟るのかも自分が決めているということになるので、結局イタチごっごになります。

 

悟りを求めるということは、今の自分が悟っていないということ、そういう自分がいるという現実を強化することにあえて力を貸してしまうことになるため、一生悟りには至れません。矛盾するようですが、これが真実です。

 

わざと悟っていない自分というものを生み出し、幻想の悟りを求めて彷徨うという悲しい現実を生きることになってしまうのです。悟るべきものなどない、私は初めからすべてを知っている、悟っているというのが本来のシンプルなあり方です。そうすると、終わりのないエゴの罠から抜け出ることができます。

 

最終的に、その人それぞれにあった人生の流れというものがあるので、それに抗ったり無理矢理なんとかしようとしたりせず、自然な天の流れに身を委ねて生きることが肝心なのだと思います。

 

そんなことを言いながら、僕もどっちかというと天の流れを無視して、自分の力(エゴ)で何とかしたくなってしまうタイプなので、今その流れに乗るということを訓練している最中です。(。-_-。)

 

今回ちょっとうまくまとまらず意味不明な箇所も多かったかもしれませんが、どうかお含みおき下さい。

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。


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