シリウス星☆出身?!ヴィーガン宇宙人のスピリチュアルブログ 

食・愛・笑を好む、ちょっとおかしな私の体験記を日々綴っています♡

正義とは何か?マイケル・サンデル教授の講義がすごい!

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今日ご紹介するのは、哲学者、政治哲学者、倫理学者でもあり、
ハーバード大学の教授を務めるマイケル・サンデルという人物です。

 

彼の行った講義は「白熱教室」というタイトルで数年前にテレビでも取り上げられ、一時期話題にもなりました。

 

www.youtube.com

 

当時僕はこの講義を聞いて、「この世に絶対的な正義はない」、「悲劇が起こるのは、正しさの押しつけ合いによるものだ」ということを改めて感じました。
この講義を聞いてどう思われるかはきっと人それぞれだと思いますが、僕はそう感じました。

 

さらに、その講義から得られる感想、理解という点においても絶対的に正しいという正解そのものが存在しないということがわかりました。自由に受け取ってよいというのが答えのように思えました。

 

ハーバード大学の講義?」と聞くと、少し敷居が高くて敬遠してしまいそうになるかもしれませんが、このサンデル教授の講義の内容は非常に入念に計算され尽くされており、わかりやすく筋道が立てられているのできっと理解しやすいと思います。

 

何となく難しそうという先入観を捨てて一度聞いてみると、自分でもハーバード大学の講義が聞ける!理解できる!ということに驚かれると思います。冒頭の内容などは特に聴講者を惹きつける工夫がなされていて大変面白いです。

 

学びを求める者には等しくその機会が与えられるという教育の原点において、
この講義の内容は大変有意義で貴重なものであると思います。

 

僕はこの講義を聞いて、改めて絶対的な正解、答え、正義というものがないということを感じ、当たり前、常識といった観念が、実は様々な立場や条件の違いによって変わってしまうという現実に直面することになりました。

 

それは、自分が信じて疑わなかった、それまで大切にしてきたものを突然奪われるかのような感覚もしました。でも、それは良い意味での揺り起こしが頭や心の中で起きている証拠でした。

 

やがてそれは自分にとって新たな視点や、今までにない自己認識を生むという機会にも繋がりました。

 

何が正しいか?ということが非常に曖昧なものであるということを痛感させられ、
答えがないことを受け入れること、つまり、「答えがないということがそもそもの答えだった」という矛盾するような結果が得られるということを知りました。

 

人によっては、「じゃあ、この講義で行われた議論は一体何のための議論だったの?」と疑問を抱くかもしれませんが、その一つは、自分が信じている正しさというのものが一体何なのかということに気づくことだと思います。
意外と普段生活している中で、自分が何を正しいと思って行動を決めているのかということに気づかず無意識に行動している場合があります。

 

そんな時、何か一つの命題について議論を交わすことで、自分とは異なる、もしくは真逆の他者の意見の存在を知り、自分の意見というものがより明瞭になります。
また、どの程度その意見を強く保持しているのか、(固執しているのか)ということにも自然と気づくことにもなります。
議論の結果、人によっては自分の意見が変わるかもしれないし、変わらないかもしれません。
でも、そのことに気づくということが、この議論の主旨、目的、気づきなのだろうと僕は理解しました。

 

そして、その時考えうるすべての意見、信念、思想、考え、主義、主張に目を向けた上で、そこに判断を下さず中立的に捉えるとは一体どういうことなのかを自分の中で自問する機会にもなりました。

 

それが議論を行うことの最大の目的だと僕は思っています。

 

議論は本来ある一つの答えを導き出すために行うものだと思えますが、
このサンデル教授の講義を聞くと、答えがないということに気づくという不思議な現象が起こります。
ただ、それでも議論を続けていく価値はあるとサンデル教授が言葉を残しているのは、
そういう意味なのだと捉えました。

 

そして、人は誰しも自分の信じる正義、信念にしか従えないのだという限界を知ることも人生を生きる上で大切なことだと思いました。

 

著書もいくつか出ていますので、興味を持たれた方は是非チェックしてみて下さい。

 

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

  

  

もう少し正義について僕なりに思うことを語りたいので、次回に続きます!

 

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Coco壱番屋の「特定原材料を含まないカレー」を食べてみました!

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つい最近、出掛け先で外食することになりました。

 

でも、その近辺にはヴィーガンベジタリアン向けのレストランがなかったので、
事前にネットで情報を得ていたCoco壱番屋の「「特定原材料を含まないカレー」を食べることに決めました!

 

Coco壱番屋の「特定原材料を含まないカレー」は、アレルギー体質の方に配慮し、
卵、乳、小麦、そば、落花生(ピーナッツ)、えび、かにを含む特定原材料を使用していません。

 

また、肉、魚などの動物性のものも含まれていないので、
ヴィーガンベジタリアンの方でも食べることができます。

 

ライスは200gと100gの二種類あり、私はライスを200gで注文しました。


運ばれてきた時は、このような感じでした。↓

 

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レトルトパウチに入ったカレーが2袋温められて運ばれてきました。


開封して別皿のご飯にかけるとこんな感じです。福神漬けも添えてます。(^_^)/ ↓

 

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お味は普通に満足のいく美味しさで、ペロっと全部いただきました!(*´з`)
ちなみにお値段は「税込412円」でした。


店舗内でこの「特定原材料を含まないカレー」だけ持ち帰りで購入することも可能です。

 

とてもヘルシーなので、ヴィーガンベジタリアンの方だけでなく、
ダイエット中だけどカレーが食べたい!と思った方にもぴったりのメニューだと思います。

 

またアレルギー体質の方や、アレルギーのお子さんを持つ方にとっては、特にありがたいメニューだと思えたので、思わずCoco壱番屋さんの企業努力に感謝したい気持ちになりました!


もし機会がありましたら、是非お試し下さい。(^_-)-☆

 

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お金には変えられないものに気づけた!

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私は2018年4月から1年間の期限付きで無職になることを決め、
その間、自分の好きなことだけをして暮らしてみて、
人生にどんな変化が起きるのかを試してみようという実験をしています。

 

この無職生活に入る前の2年間である程度の貯金を作っておいたので、
今はそれを切り崩しながらの生活ですが、普通に毎月同居している両親に渡す生活費の他に
自分のやりたいことをするために使える十分なお金もあって、
今のところ何不自由なく暮らせています。

 

でも、無収入になったことで、
買い物をする際に、「これは本当に必要なものか?」「長持ちするか?」というのを
より吟味してから買うようにもなりました。

 

欲しい!買いたい!と思った瞬間に衝動的に買ってしまうこともありますが、
たまに、「ちょっと寝かせてみよう!」と、あえてすぐには買わずに時間が経っても欲しい気持ちが変わらないかどうかを確認してから買うこともあります。

 

そんな暮らしを続けて半年が経った今、
お金には変えられない、お金以上のものがあるということに気づくようになりました。

 

なぜ急にそんなことを思ったかと言うと、
お金以外のもので自分が報酬を与えられていることに気づき、
そのことで幸せや感謝を感じられる機会が増えたからでした。

 

例えば、つい最近も買い物をしていたら、思いもよらず「これは、おまけです!」と言って、お菓子や何か物をふいにもらったりすることがありました。
(それが後々自分にとってすごく重宝する物だったんです!)

 

また何かをふと欲しいと思っていたタイミングで、
偶然誰かからそれをタダで譲り受けるということもありました。

 

他にも私が欲しいと思っていた商品を母が激安価格で見つけてくれたりしました。
それは、なんと60円のオーガニックコットンのTシャツでした!(◎_◎;)
びっくりですよね。クーポンを使ったらなんかその価格になったそうです。ほぼタダです!

 

他にもサービスを利用する時、通常の値段よりも割引してもらったり、
無料で何かを経験させてもらえる機会もありました。

「こんな素晴らしいものをただでシェアしてもらっちゃっていいの?」
ということが身の周りに溢れているということに気づきました。

 

 

また、昨年はほぼ実をつけなかった庭の梅の木が、今年はなぜか沢山実をつけてくれました。おかげで収穫した大量の梅の実を、父が梅干しとして漬けてくれて、さらにその過程で梅酢も大量に作れました。梅酢はトマトにかけると超美味しいです!(*´ω`*)

 

他にもブルーベリーや葡萄、金柑、梨などの庭の果樹が今年は例年にも増してよく実をつけてくれました。中でも梨は群を抜いていっぱい実をつけてくれたのですが、味がいまいちだったのがちょっと残念でした。でもそれ以外は、どれも美味しくいただくことができました。自然の恵みにほんと感謝でした。(*´з`)~♪ 

 

今年は親戚からもいろんな贈り物が届きました。

 

 

さらに、なぜか友人や家族に奢ってもらえる頻度も増えました。

 

特にびっくりしたのは、私の妹が初めて私に旅行をプレゼントしてくれたのです。
旅費の負担だけでなく、宿の予約、行程決めまで全部やってくれました。
もう至れり尽くせりで思わず感謝して、「今回は甘えさせてもらうね!」
とその優しさを有難く頂戴することにしました。

 

いつも自分の相談に乗ってくれたり、励ましてくれる友人や、時に本音で厳しいアドバイスをくれる友人もいます。また、退職した前の職場の元同僚たちと今も繋がっていて、たまに飲み会に誘われたり、今の私の活動を応援してくれていたりもします。

 

つい最近、友人が奢ってくれて、私が「やっぱりきちんとお金を払いたい!」と言うと、「今度機会があったら爪を貸してよ。それでお相子にしよう!」と言ってくれました。

 

実は、その子は今趣味でジェルネイルを身近な周りの人たちにしてあげていて、その腕をもっと磨くために、いろんな人の爪でネイルをやらせて欲しいとのことでした。
その子にとっては、私が爪を貸すことが奢ったお金と同じ価値があるということなんだなと思いました。


でもよくよく考えると、私は奢ってもらった上に、ジェルネイルをタダでしてもらえるということになり、私の方が得をしちゃってるような・・・とも思いましたが、その子にとっては、それで十分満足なんだそうです。


そんな風にして、お金ではないものやお金には変えられない大切なものを、実は私は沢山得ていたんだという当たり前のことに気づきました。

 

それまで私は何か行動するときに、これが自分の仕事に繋がるだろうか?とか、
収入アップになるだろうか?など損得勘定で、報酬をお金という形で密接に関連付けて考えてしまう傾向にありました。

 

でも、最近になってお金以上のもの、お金には変えられない喜びを
自分が感じられるようになってきていることに気づきました。

 

それは、自分の身近にいる周りの人たちのちょっとした助けになったり、
何かを通して喜んでもらえたりすることでした。
時に自分が甘えさせてもらうことも相手を喜ばせることに繋がっているんだということも感じました。何となく受取り上手になることを教えられている気もしました。

 

お金はあればあったで幸せですが、
お金だけが自分を豊かにする手段ではないということを最近より一層感じ始めました。

 

それに自分のしている行為が果たして正当なお金として評価できるものなのかということも正直疑問に感じたりもしました。
お金ではその価値を判断できないこともあるのかもしれないと、ふと思ったりしました。

 

そうなると、お金ではない対価として、自分が何かしたことで誰かから感謝されたり、誰かの支えや必要な存在となったり、ちょっと笑顔を見せてもらえたりすることであってもいいのかなと思えました。

 

無職生活をしてみて、私はお金ではない形で知らず知らずのうちに周囲から沢山の報酬を得ていた自分というものに初めて気づくことができました。

 

この気づきや発見はこれからの人生でも大切にしていきたいな~と思っています。(#^.^#)

 

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中国桂林旅行 その④

『畳彩山』という小高い丘くらいの山にも登りました。展望台からの眺めはこんな感じです。遠くに山々があり、街並み全体をよく見渡せました。↓

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展望台を少し下ったところに、有料の滑り台があります。童心に帰って、家族みんなでその滑り台で下まで降りることにしました。専用の軍手と下半身を保護する厚手の腰巻きをつけてもらい、いざ出発!(-ω-)/

 

自分の足を使って速度を自由に変えられるので、全然怖くなく普通に楽しめました。(≧▽≦) ♪

f:id:syakadou77:20180917174414j:plain 滑っている最中に撮影!(*^^)v

 

そして滑り台の出口に着くと、「待ってました~!」と言わんばかりにお土産をすすめるおばちゃんが近寄ってきました。わっ、ネズミ捕りみたい。(^_^;)
即「ノーサンキュー!です。」と断りましたが、もしこの滑り台を利用される方はご注意下さいね。

 

 『木龍湖公園』は建物と自然との調和が美しかったです。中国らしい風景だな~とも思いました。↓

 

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f:id:syakadou77:20180917175425j:plain 蓮の花も見頃で綺麗でした!(*´ω`*)

 

『正陽街』という街中を自由行動で散策する時間もありました。日本でいうところの原宿みたいな雰囲気で、結構賑わっていて若者が多い感じでした。↓

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この『正陽街』を出て徒歩で少し行った先に、『日塔と月塔』という二つの塔が建っている名所もありました。↓ 

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すべては紹介しきれませんでしたが、ざっと旅行の様子はこんな感じでした。
長々と4編に渡ってしまいましたが、最後まで目を通していただきありがとうございました。<(_ _)>

 

最後に、番外編です!(。-_-。)

 

【注意!】
お食事中の方や潔癖症の方、ちょっと汚い話が苦手な方は、ここから先の内容はスルーして下さい!↓

 

<桂林のおトイレ事情>


桂林漓江下りの船着き場へ向かう途中、トイレ休憩でガソリンスタンドに立ち寄りました。
私はその時トイレには行かなかったのですが、母はそこのトイレに行き衝撃的な光景を目にしたそうです。(◎_◎;)

 

なんと、そこのトイレには個室の扉がなく、(仕切りは一応あったみたいです。)
水路のような溝があるだけで、なんとそこに用を足す仕組みになっていたそうです。
また、その水路も水が流れている訳ではなく単なる溝で、トイレットペーパーはもちろんありません。
つまり、トイレに入っている姿だけでなく、他者の排泄物までが丸見えの状態になっていたそうです。
母もさすがにそれを見てトイレに入る気が失せてしまい、そのままバスに戻ってきてしまいました。(-_-;)

 

空港やホテル、観光名所、食事処などのトイレは普通に水洗でしたが、街から少し離れた田舎に行くと、日本人には信じられないトイレがいまだにあるみたいです。

 

余談ですが、祖母が20年程前に旅行で桂林を訪れた際は、空港内のトイレですらそんな感じだったそうです。びっくりですよね。今、この時代に来れて良かった~って思わず思っちゃいました。(^_^;)

 

また、普通に街中にある喫茶店でお茶をした際に、母がトイレに行ったら、
「大きい方はご遠慮下さい」という貼り紙が貼ってあったそうです。(゚д゚)!


「そりゃないよ~」とちょっと可哀想な感じもしましたが、まだ一部の地域ではインフラ整備が遅れているところもあるようでした。

 

海外旅行でおトイレ事情が気になる方への事前情報として、一応伝えさせてもらいました。(´∀`*)ウフフ


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中国桂林旅行 その③

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なんといっても、この旅行の見所は、世界遺産にもなっている『桂林漓江下り』でした!(^O^)/

 

写真の通り、珍しい形をした山々が至るところにそそり立っていて、自然の造形美に思わず見入ってしまいました。


この日は曇り空でしたが、ガイドさんによると晴れよりも曇りの日の方が雰囲気がより出て、山々がより美しく見えるということだったので、ラッキー!と思いながらじっくり堪能しました。(#^.^#)

 

f:id:syakadou77:20180917171331j:plain 鵜飼いのおじさんの後ろ姿をパシャリ!

 

また、『葡萄山』という場所を訪れたのですが、そこは現在もヤオ族という少数民族が暮らしている土地で、観光客にその伝統や文化、生活の様子など展示・紹介してくれていました。

 

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実は、ヤオ族の女性は世界一髪が長いと言われていて、18歳の成人を最後に髪を生涯切らずに過ごすそうです。また、幼い頃から発酵させた米のとぎ汁で洗髪していて、老齢になっても髪の色が黒く美しいままを保てるのだそうです。↓

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実際に対面して写真も撮らせてもらいましたが、この方々は見た感じ70歳以上に思われたのですが、本当に艶のある美しい髪をしていました。ちょっと見ていて違和感があるというか不思議な光景でした。

 

その原因を科学的に分析したり、このヤオ族の遺伝子を研究したら、将来的に年を取っても白髪にならない方法が見つかるのかな~なんてふと勝手に思ったりしてしまいました。

 

展示されていたヤオ族の民族衣装もすごい素敵でした!(*´з`)~♪ ↓

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葡萄山の展望台からの眺めです。↓

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漫画みたいな木の上のお家もありました。↓ (>_<)

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食事で出された桂林料理は野菜中心の油炒め系が多かったです。
青菜炒め(日本ではみかけない感じの地元の葉物野菜でした。)や、太めのお米の麺で作ったビーフンのような料理、花巻なんかが個人的にすごく好きでした。
スープの出汁も昆布を使っていたり、日本人好みに味付けもしてくれていたようで、毎食美味しくいただけました!

  

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『穿山岩』と呼ばれる鍾乳洞の中に入った際はライトアップがすごくて、あまり日本では見かけないようなギラギラした感じが逆に面白かったです。(^_^;) ↓

 

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『茶芸館』を訪ねた時は、いろんな種類のお茶を試飲させてもらいました。
その中でも特に気に入った、ここ桂林の土地でしか育たないという貴重な金木犀で作られたお茶「桂花王茶」(けいかおうちゃ)をお土産に買って帰りました。
すごい香りがよく、シミ・シワなどの皮膚の老化防止に効能があるそうです。

 

f:id:syakadou77:20180917172222j:plain 桂花王茶の缶、なんかポストみたい‥‥(-.-)

 

桂林を訪れた6月は、ちょうどライチが旬の時期でした。そのため、ガイドさんの粋な計らいによって元々行程にはなかったのですが、途中八百屋に立ち寄らせてもらい、ライチなどいろんな果物を買ってその場で食べさせてもらいました。

 

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そのライチは普段日本にいる時に食べているものとは全然違って、瑞々しく最高に美味しかったです!

f:id:syakadou77:20180917173103j:plain \(^o^)/わーい!私の大好物♡

 

次回(ラスト)に続きます!

 

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中国桂林旅行 その②

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母の荷物が無事手元に戻り、さらに合流もできて安心し、
「あー良かった!」と思ったのも束の間、私はチケットに記載されている時間を見て、
「もう飛行機が出発するまで15分くらいしかない!」と言い、搭乗口まで両親を急がせました。

 

さらに、よりによって、手荷物検査場から搭乗口までがやたらに遠く、(多分数百メートルあったように感じられました。)みんな所々駆け足で向かいました。

 

搭乗口に到着してみると、チケットに記載されていた搭乗口が変更になったという貼り紙が出されていて、さらにまた変更された搭乗口まで移動するはめになりました。

 

正直「も~、なんでこんな時に搭乗口が変更になるの~!!」とさらに焦りましたが、
何とか変更後の搭乗口の前まで辿りつきました。

 

そして、搭乗しようとしたら、
今度は父が「パスポートがない!」と言い出しました。Σ(゚д゚;) ヌオォ!?

 

その場でバッグの中を何度も見てみたのですが見当たらず、
もしかして手荷物検査場に置いてきたんじゃないの?という話になりました。
せっかく走ってようやく搭乗口まで来れたというのに、
父はまた手荷物検査場までトンボ帰りしていきました。ウーン (Θ_Θ;)

 

今度は母と私の二人が取り残される形になりました。
もうこの時私は「完全にオワタ‥‥」と思い、
私は飛行機に乗り遅れた場合のことを想像し始め、その対応策まで考えていました。

 

しばらく待ってると、ふと母が「もう一度バッグの中を見てみたら?」と言ったので、
私が父のバッグの中を調べてみたら、なんとパスポートが出てきたのです!
Σ(゚д゚;) ヌオォ!?【Pert2】

 
多分父も焦っていて、ちゃんと探し切れていなかったようでした。

  

そこで、私はすぐに手荷物検査場まで走り、係員二人と一緒に探し回っていた父を見つけると、
パスポートがあったことを伝え、係員の方たちには表情とジェスチャーでその旨をお詫びをして、
再び搭乗口へと向かいました。

 

この時ばかりは普段足が悪く走ることのない父も火事場の馬鹿力で
私と一緒に搭乗口まで全速力で走っていました。スゴォ!(゚Д゚ノ)ノ

 

ようやく搭乗口に三人がそろい、ギリギリセーフで飛行機に乗ろうとしたら、
係員に「Wait!」と言われ引き止められました。

 

一瞬「まだいけるでしょ?」と思いましたが、
その後すぐに、「あっ、もう飛行機が出発してしまったんだ‥‥」と思い直し、
落ち込みました。(_ _|||)ガーン

 

でも止められた理由をよく確認してみると、私たちの乗る便が出発するまでまだ30分弱あったからでした。
係員は「あなたたちの乗る飛行機の搭乗はまだ始まってないから、待ってください」という意味で「Wait!」と言っていたのでした。

 

そこで、初めて私はチケットに記載されている時間を出発時間だと勘違いしていたという事実に気づきました。

 

本当は記載されていた時間は「搭乗開始時間」だったのです。さらに、その時ちょうど前の便の搭乗が遅れていて、記載の時間が過ぎていても私たちの便の搭乗がまだできない状態だったのです。

 

そして、その瞬間、あんなに父を走らせてしまったことを申し訳なく思いました。(>_<)ゴメン!とーちゃん!

 

言い訳ですけど、日本国内の航空チケットでは出発時間と到着時間しか記載されていないので、搭乗時間だけが記載されているというその航空チケットの記載方式に慣れていなかったんです。

 

よく見ればちゃんと「Boarding time」と書いてあったんですけどね。苦笑

 

正直そんな阿保な話あるかって思われるかもしれませんが、
最初の母の一件があってから全員が冷静さを失っている状態だったんです。

 

なので両親も私の言葉を鵜呑みにしてチケットの内容を全く確認していませんでした。

 

本当にこの時は全員がパニくっていて、
それぞれ一つずつ何かしらトラブルを起こしていたんですね。(^_^;)

 

ほんと思い込みって怖いな~と、冷静になることの大切さを痛感させられました。

 

その出来事があってから、乗り継ぎ便の機内の中で出発を待つ間、ようやく全員がほっと一息つけました。
行きの移動でこれだけいろんなハプニングが立て続けに起こったので、この先が思いやられるな~とも思いましたが、その頃にはもうさっきまで出来事も笑い話になっていて、その後は特に大きなトラブルに見舞われることなく普通に旅行を楽しめました。

 

皆さんはこんなことにはならないとは思いますが、

 

・手荷物を機内に忘れないように
・焦っている時こそ冷静に
・チケットの搭乗時間と出発時間の記載を見間違わないように
(ちなみに利用した航空会社は「中国東方航空」と「上海航空」です。)

 

して下さいね。(^_^)/

 

それから、あの時、助けて下さった上海空港の職員の方々にはホント感謝です!
中国の職員の方たちは皆本当に親切でした!
日本人として迷惑をかけまくってすみませんでした!m(_ _)m

 

次回はいよいよ旅行のお話です。ここにくるまでなっが!(゚д゚)!

 

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中国桂林旅行 その①

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2018年6月に両親と私の三人で中国桂林に旅行に行ってきました!
(ここは、年間で観光客が5000万人も訪れるという中国最大の観光名所です。)

 

3泊4日の団体旅行だったので、あっという間でしたが個人的にすごい良かったです。(^O^)/

 

私は幼い頃から水墨画が好きな母に連れられて、たまに一緒に美術館へ水墨画を見に行っていたので、その題材としてよく描かれる桂林の地を訪れることはすごい楽しみでした。
あの山々の感じというか雰囲気は、世界中でも多分ここ桂林にしかないとも思っていたのですごく貴重な景色を見られて最高でした。

  

ただ、初日桂林までの移動中に思わぬハプニングが起こりました。il||li(;´д`)il||li
まずはその時のお話からご紹介します!

 

私たち家族は、旅行に行くにあたって全員荷物を最小限に抑えてコンパクトにまとめていたので、成田から飛行機に乗る際は荷物を預けずにすべて手荷物として機内へ持ち込みました。

 

実は、成田から上海を経由し、乗り継いで桂林まで向かうことになっていたのですが、
事前の情報として、乗り継ぎの際にロストバゲージがよく起こるということを聞いていたので、それを防ぐためという目的がありました。

 

また、うちの家族の中では、以前から飛行機に乗る時に荷物を預けると、降りた後にそれが運ばれてくるまで待つのが嫌なので、基本的に荷物を預けないようにするという習慣がありました。

 

まず、成田から上海に降り立つと、飛行機から連絡バスに乗って空港へ向かいました。
上海空港は飛行場がとてつもなく広くて、バス移動で空港まで10分以上かかりました。
そして、空港について入国審査を受ける直前、母が自分の荷物を機内に置き忘れてきてしまったことに気づきました。Σ(゚Д゚)ハッ

 

慌てた母はすぐにそばにいた中国人の係員に片言の英語で事情を説明し、その係員と共にいきなりどこかへ探しに行ってしまいました。


どこで落ち合うかとかそういった話も一切することがなく、突然母がいなくなってしまったので、取り残された父と私は唖然というか茫然としてしまいました。(´ヘ`;)・・・

 

元々母は忘れっぽい性格で、日常的にいろんなものを置き忘れるので慣れてはいましたが、
本人も荷物を機内に置き忘れるというのは人生で初めてだったらしく、
(それも、唯一持ってきた全荷物が入ってるやつよ~ん。)
自分でも少しびっくりしたみたいでした。┐(-。ー;)┌ヤレヤレ

 

荷物を預けずに機内に持ち込んだことがかえって仇となってしまい、
いきなりとんだハプニングに見舞われたと私は少し気が動転しました。

 

その後、私と父は、母が同じ場所に戻ってくる可能性を想定し、
入国審査前の場所でしばらく待つことにしました。
(この時、全員携帯電話を持っていなかったので、連絡する手段がありませんでした。)

 

けれど、次の乗り継ぎの便の時間も迫ってきたので、やむを得ず二人で先に搭乗口まで向かうことにしました。

 

そして、幸いにもその途中の手荷物検査場を出たところで、
偶然母とばったり出会い、そこで無事に合流することができました。
これは本当にラッキーでした。(^_-)-☆
あんなに広い上海空港で同じ時間に検査場を通過していて、
さらに私と母が検査を受けたレーンが隣合っていたなんて、
まさに奇跡(シンクロニシティ)としか思えませんでした。
神様ありがとー♡!(#^.^#)って思いました。

 

合流した時、母は機内に置き忘れた荷物をちゃんと受け取っていました。

 

後で母が教えてくれましたが、忘れたバッグを受け取る際、
その場所に自分以外にも相当な量の忘れ物が届いていたそうです。
結構機内に忘れ物をしてしまう人っているみたいです。

 

しかし、一難去ってまた一難、この後もまたとんでもないハプニングが起きたのです!(◎_◎;)

 

続きはまた次回!

 

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現代の覚醒者エックハルト・トール

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僕は約1年程前に、偶然動画を通じて、エックハルト・トールという人物を知りました。

この方は日本ではあまり知られていないようですが、
アメリカではとても人気のある精神的指導者として著名な人物です。

 

いくつか動画で講演の様子などが紹介されていますので、
興味のある方は是非ご覧下さい。↓

(ユーモアを交えながら悟りの本質を丁寧にわかりやすく教えてくれています。)

www.youtube.com

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彼の話の内容を聞く限り、僕は現代における覚醒者、悟りに至った人物の一人として認知しています。

 

彼の語る言葉には、悟りの概念をかみ砕いてわかりやすく伝えようとする優しさ、愛が感じられます。今でもたまに動画を見て、その内容を大変興味深く聞き入っています。

 

また、彼は「 さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」と、
「ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる」の二冊の有名な著作も書かれています。↓  

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

 

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

 

僕は、「ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる」の方を読みましたが、
まさに真の悟りの概念を伝えている名著だと思いました。

 

人によっては最初は難解に思えるかもしれませんが、
何度も読み込んだり、自分の人生経験を重ねていく中で、
時折その本を読み返してみると理解ができる箇所が生まれてくるような、
悟りの世界に興味がある方には、バイブルとなる良書であると思います。

 

僕がエックハルト・トールに惹かれたもう一つの理由は、
彼が悟りに至った経緯、出来事についての話を聞いた際、
僕が一時的な悟りの状態に達した時と大変よく似ていたためです。

 

僕はなぜか人生の自然な流れの中で、苦しみの最果てに自分を導いてしまいました。
その結果、幸いにも一時的に悟りの世界を覗くことになりましたが、
一歩間違えれば自殺していたようなかなり危険な精神状態でした。

 

僕はその経験があったので、みんながみんなそのような苦痛の中で悟りに至らなくてもよいということを思いました。

 

だから、そういった霊的指導者たちは、自分の過去の経験を生かし悟りの本質をわかりやすく伝えようとしてくれているのです。

 

僕の場合は、性格的にとことんまでやらないと自分の信念を曲げないという頑固さがあったせいで、正直余計にこじらせてしまった感がありました。
別にそこまで行かなくても、その前に気づいたって良かったのにな~というのが、今になって思うことです。

 

人生を生きる上で悩みや苦しみを感じる時、エックハルト・トールのような人生の先輩の話から生きるヒントを得るというのも一つの方法だと思います。

 

この世の出会いはすべて必然であると考えると、
つい最近になって彼の存在を知ったということは、
何かとても縁を感じるというか、シンパシーを抱きます。

 

僕の場合は、一時的な悟りしか経験せず、またいつもの精神状態に戻ってしまいましたが、エックハルト・トールの場合は完全な悟り、覚醒に至っているので、もう元の精神状態には戻らない域に達しています。

 

それが、僕とは大きく違います。

 

人は、稀に急激に悟りに至るというケースもあるかもしれませんが、
その心理的な衝撃というか、精神的はショックは計り知れません。

 

なので、通常は悟りと普通の精神状態を自然に交互に行き来したりすることを繰り返して、
徐々に永久的な悟りへと至っていくというのが、一般的な流れというか、
変化が緩やかで精神的なショックが少ない安全な方法だと僕は思っています。

 

いきなり完全に悟ってしまうと、人によっては自分の意識以外この世には何もない、
目に見える宇宙のすべてが突然崩壊してしまうかのような極端な感覚に陥ります。
そのことによって、ものすごい虚無感と孤独感に襲われ、場合によっては生きる意味を見失う場合もあったりします。

 

この世が人間としての体験を味わうためのいわゆる幻想の世界であるということに対して完全に疑いの余地がなくなってしまうのです。
そして、もうその世界のすべて、あらゆることに対して執着するということがなくなります。

 

そうすると、まるで種も仕掛けもわかっているマジックを見せられているような感じでこの現実世界が見えてしまうので、様々な感情や経験それ自体をリアルに心から楽しめなくなるのだと思います。

 

そのため、その死後「解脱」という選択肢が生まれ、
自由意思によってその道を辿るのだろうと僕なりに解釈しています。

(たとえ解脱したとしても、本人が希望すれば再び地球に転生することも可能だといわれています。)

 

これから先の時代は、ユニティ(統合)の時代と呼ばれていて、
この目覚めというのをより多くの人が経験していくような流れに入っていくだろうと思います。

 

この現実世界に没入することなく、別の視点から俯瞰的に眺めるもう一人の自分と共に人生を歩むような感覚を得るということです。

 

実は、もうそのように生きている人たちは沢山います。
そしてこの現実世界に目覚めても、人生を楽しむことはできます。
それは愛に満ち溢れた世界の中で純粋に創造を楽しむという生き方です。

 

究極を言ってしまうと、今自分の目から見えている世界というのは、自分の意識が創造したもので、さらに私たちはその中で自作自演のドラマを演じているに過ぎないのです。

 

いずれどの人もこの領域に達するのだと思いますが、感情体験というのは人間の生を通して得られる最大の喜びでもあるので、「今を生きる」という言葉を大切にしながら、
その人のペースで人生を謳歌し目覚めていくことが一番なのだと思っています。

 

ついでに言うと、悟りに至るのが早い方がいいとか、今世で悟ったら勝ち組というのは、実はエゴが仕掛けるまやかしだと僕は思っています。

 

悟りとは自分の存在の本質、神性に「今この瞬間に気づくこと」でもあります。元々自分が備えていたものに、改めて「あっ、最初からそこにあったんだ!」と気づくということです。

 

元々持っていたものに早く気づくのがいいかどうかというのは、自分の許可次第というか、そう意図すればそうなるだけであって、いつ気づくのかさえも実は今この瞬間の自分自身が決めているのです。

 

「すべては自分の意識が決定している」とするならば、悟りを得ることに価値を見出しているのも自分ということになり、いつ悟るのかも自分が決めているということになるので、結局イタチごっごになります。

 

悟りを求めるということは、今の自分が悟っていないということ、そういう自分がいるという現実を強化することにあえて力を貸してしまうことになるため、一生悟りには至れません。矛盾するようですが、これが真実です。

 

わざと悟っていない自分というものを生み出し、幻想の悟りを求めて彷徨うという悲しい現実を生きることになってしまうのです。悟るべきものなどない、私は初めからすべてを知っている、悟っているというのが本来のシンプルなあり方です。そうすると、終わりのないエゴの罠から抜け出ることができます。

 

最終的に、その人それぞれにあった人生の流れというものがあるので、それに抗ったり無理矢理なんとかしようとしたりせず、自然な天の流れに身を委ねて生きることが肝心なのだと思います。

 

そんなことを言いながら、僕もどっちかというと天の流れを無視して、自分の力(エゴ)で何とかしたくなってしまうタイプなので、今その流れに乗るということを訓練している最中です。(。-_-。)

 

今回ちょっとうまくまとまらず意味不明な箇所も多かったかもしれませんが、どうかお含みおき下さい。

 

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映画『銀魂2』を観てきました!

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私は自分からあまり映画館に映画を観に行くことは少なく、
基本DVDを借りて家で観る方なのですが、
たまに友人に誘われて映画館に観に行くこともあります。

 

つい最近も、友人たちに誘われ、一緒に『銀魂2 掟は破るためにこそある』を観に行ってきました!\(^o^)/
空知英秋の漫画『銀魂』を実写化した映画で、『銀魂』の続編にあたるシリーズ二作目です。)

 

wwws.warnerbros.co.jp

その友人の一人は、以前の職場で仲の良かった元同僚で、当時「銀魂」の漫画を借りて読ませてもらっていました。

 

それをきっかけに「銀魂」の面白さを知り、今回「映画を観に行こう!」と誘われた時も、きっと面白いんだろうな~とワクワクしながら行ってきました。(´∀`*)~♪

 

そして、映画を観た感想ですが、すんごい笑えました!(*´з`)
でも、笑いだけじゃなく、映画を通して伝えたい真面目なメッセージや
男の友情も感じられるシーンもあって、最後は感動する場面もありました。

 

笑いのシーンは、人によっては「お下劣!」と感じられるかもしれませんが、
それを引かずに楽しめる人には面白い映画だと思います。(^^;)
結構他の観客の人たちも映画を観ながら吹き出したり、笑っていたりしてました。

  

さらに、キャストも実力派や若手売れっ子俳優を起用していて、
小栗旬菅田将暉、橋本環奈、岡田将生長澤まさみ柳楽優弥中村勘九郎窪田正孝三浦春馬吉沢亮堂本剛堤真一夏菜、勝治涼、ムロツヨシキムラ緑子佐藤二朗・・・などなど、目白押しです。

 

私は、漫画で登場するキャラクターでは、中村勘九郎さんが演じる「近藤勲」と、堤真一さんが演じる「松平片栗虎」が好きです。どこか天然で抜けている阿呆っぽさに惹かれます。

 

また、今回の映画では、私の中で佐藤二朗さんが演じる「武市変平太」の出ていたシーンが大ウケでした!キーワードは「なるいは」です。( *´艸`)プププッ
たまにそのシーンを想像して思い出し笑いしちゃうくらい面白かったです。

 

また、「河上万斉」役を演じた、窪田正孝さんの迫真の演技にも驚きました。
以前からすごい演技力のある俳優だと感じていましたが、この映画内でもどこか抜きん出るものを感じました。
本当に役に入り込まれていて、セリフを言う時にその役柄の感情までもがリアルにそこに乗っている感じがして、この人は憑依体質のような役者だなという印象を持ちました。

 

帰り際、友人たちと話をしていて、ドラクエⅤのパロディドラマ「勇者ヨシヒコ」がめちゃくちゃ面白いよ~と教えてもらったので、それも機会があれば見てみようと思っています。(#^.^#)

 

私には実は兄がいて、その影響で小学生の頃から、ドラゴンクエストファイナルファンタジー聖剣伝説など結構RPGゲームを好んでよくやっていました。

 

なので、私のようにドラクエを知っている世代の方にはそのドラマは結構ハマるみたいですよ~。

 

皆さんも興味が湧きましたら、是非ご覧ください。(^_-)-☆

 

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嫉妬心の克服法 その②

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嫉妬心を抱くということは、当然「相手が持っているものを自分も欲しい」と思っているということであって、それはつまり、「自分はその欲しいものを得られないから、それを持っている人が妬ましく思える」ということになります。

 

つまり、大前提に嫉妬心を抱く相手が持っているものを、自分は絶対に手にできない、自分が相手よりも劣ってるという認識、諦め、思い込みがあるということがわかります。(場合によっては悲しみも含まれています。)

 

例えば、りんごを持っている人がいて、「あっ、私もりんご食べたいなぁ~」と思ったら、普通に八百屋さんやスーパーに買いに行けばいいだけです。自分にはそのためのお金もあるし、お店へ買い行くために必要な肉体も時間もあります。

 

そこで、「なんでりんごをあの人が持っているの!許せない!りんごを食べさせないようにしてやろう!」などと思うことはありません。

 

だから、他者が持っているものを自分が絶対に手にできないという思い込みがない限り、嫉妬心は抱けないというカラクリがあることが、この話からきっとわかると思います。

 

その思い込みを解く鍵として、「あなたにもその嫉妬している相手と同じものを手にできる可能性があること、むしろそれよりももっとあなたに合った、素晴らしいものを手にできる可能性があることに気づきなさい」とそのきっかけを与えられているのだと思いました。

 

今になってその当時のことを振り返ってみると、確かにその子は絵は上手かったけれど、同じ景色を見ても私と全く同じものは決して描けなかっただろうということに気づきました。

 

私が描くということだけで、すでにそれだけで価値があるように思えて、その上で技術的な面や感性などに対して評価が下されると思うので、それは二の次、三の次のように思えました。
私にしか描けない味というものがきっとあるはずだと思いました。

 

それに、後になって私の持つ才能は絵の才能だけでなかったということにも気づけるようになりました。私は自分のことを絵の才能という一つの物差しでしか評価してあげられなかったので、そこに異常なまでの執着があったということもわかりました。


自分には絵の才能だけしかないと思い込んでいた時、その嫉妬心が強まっていたということにも気づいたので、自分の中に宿る別の才能にも目を向けるきっかけを与えられていたのだろうと、今になっては思えたりもします。

 

また、私はその当時、嫉妬心に苦しみ、その子から逃げてしまったけれど、お互いに切磋琢磨し合って絵の才能を磨き合う、良い意味でのライバル関係になれた可能性もあっただろうと思いました。

 

私が中学2年生の時、初めてコンクールで入賞した際、その子は私に対して嫉妬することなく、ただ自分の絵を描き続け努力をしていました。彼女は他者がどうであろうと関係なく、自分の絵の才能をひたすらに磨き続けていたのでした。

 

最終的にその子は高校生になってから、同じコンクールの高校生の部で見事入賞していたので、彼女のひたむきな努力は天も見ていて、それが実を結んだのだと思いました。

 

私は嫉妬心を抱いた時に、そのことから逃げないで相手と向き合っていく道と、逃げる道と二つの選択肢を与えられていたのだと思いました。その岐路で、それをよりよく生かす道もあったけれど、私はその道を自ら断ってしまっていたのだと思いました。

 

でも、結果的に嫉妬心によって私は様々なことを教えてもらいました。時間はかかっても、強がったり、逃げたりしないで、自分に正直になって欲しいものは素直に欲しいと思うようになりました。そして、そのために努力をするようにもなりました。ただ、憧れて妬ましく思うよりもその方がずっと気持ちがいいと思ったからでした。

 

今はただ、嫉妬の感情に苦しむのはもうこりごりだと思っています。嫉妬される側も辛いけれど、実は嫉妬している側もものすごく辛いなということをこの経験から学びました。

 

一つ言えることは嫉妬の感情がその人の心を引き込む、取り込む力というのが凄まじいということです。

 

私の経験上、「嫉妬するのはよくない」「嫉妬しないように!」と言われたところで、すぐにそれをやめられるほどその感情を克服するのは容易いものではありませんでした。体験した人にはこの感覚がきっとわかると思います。

 

嫉妬心に苦しむ時、私の過去の体験が少しでも役に立てたら嬉しく思います。

 

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嫉妬心の克服法 その①

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私は、中学生で美術部に所属していた時、唯一自分の才能、誇りと思っていた自分の絵の才能を脅かす同級生の存在を前にしたとき、初めて自分の中に嫉妬心というものが宿るを感じました。

 

学年(年齢)が異なれば不思議と嫉妬心は湧かないのに、なぜか同学年で、なおかつ自分より絵が上手い人に対してだけなぜか嫉妬心が湧きました。おそらく、同じ年数生きてきて、能力に差があるということが納得できなかったのだと思います。

 

嫉妬心が自分の中にあることに気づいた時、初めは「私、嫉妬なんかしてないもん。私の絵の方が上手いに決まってる。」と言って認めようとしませんでした。
でも、段々とその頻度が増えるにしたがって、明らかに自分が相手に対して嫉妬しているということに直面させられました。

 

だからといって、何か相手に意地悪をするということは、プライドがあったので絶対しませんでした。けれど、心の中の声がいろいろとネガティブなことを勝手に言っていたし、相手の不幸を願っている自分に気づいていました。

 

やがて、そのせいか、おそらく私の目つきや言葉の端々から、相手は私が嫉妬しているということを敏感に察知したのだろうと思います。
なぜなら、それまで普通に接して仲良くしていたのに、ある時期を境にその子から自然と避けられるようになったからでした。

 

でも、私はその自分の嫉妬心とどう向き合ってよいのかわかりませんでした。まだその当時14歳くらいで、初めての体験に困惑していました。
また、初めて他者に嫉妬しているという自分を知り、どう扱っていいのかわからず、そんな自分のことを好きになれませんでした。誰にも相談できず、自己嫌悪でいっぱいになりとても辛かったのを覚えています。

 

そして、その相手を前にすると無意識に嫉妬心が喚起させられることがわかったので、それに対処するために思いついた方法は、自分が美術部を辞めることでした。

 

そうすれば、その子と会う機会が物理的に減るし、その子の絵がどんどん上手くなっていく姿もこれから先見なくて済むと思ったからでした。嫉妬心を抑えるために、私はその子から離れる、自分を引き剥がすことに決めました。

 

でも、それでは一時的な対処法にしかならず、根本的な解決には至りませんでした。
やがて、風の噂でその子のことを聞くたびに相変わらず、嫉妬の感情が呼び起こされたからでした。

 

それから数年後、この嫉妬の感情に苦しむのが嫌でたまらず「もううんざりだ!」と思ったので、あらゆる本を読みあさってその解決方法を探すことにしました。

 

すると、ある時偶然手に取った江原啓之さんの著書の中に、「嫉妬心を抱くというのは、実はあなたの中にもその憧れているものと同等のものを持てる才能、可能性があるということの証である」というニュアンスのことが書かれてあるのを目にしました。

 

その言葉の意味を私はすぐには理解できませんでしたが、それを目にした瞬間、なぜか少しだけ心が救われるような気がしました。

 

それから、もっと深くそのことについて考えるようになるうちに、自分なりの答えを見つけることができました。


続きは、次回!

 

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最近のヴィーガン生活について

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私は2018年4月からヴィーガンの食生活を始めました。


もうすぐ半年になりますが、相変わらず完全なヴィーガンには移行しておらず、
たまにノーマルな食事をするという、良い意味での「いい加減でゆる~い」ヴィーガン生活を送っています。超ゆるゆるだよ~ (〜´ー`)〜

 

私は、「ここぞ!」という時には稀に本気を出すこともありますが、性格的に昔っからの結構大雑把というか、ずぼらでいい加減だったので、今更何かをストイックにやるというのが性に合いません。
「三日坊主」という諺がありますが、私の場合、気が乗らない時はほんと「一日坊主」で終わってしまうこともよくあります。щ(゚ロ゚щ) オーマイガーッ!!

  

(ブログ記事内でたまに誤字脱字が見られるのもそのせいです。頑張って修正してますけど‥‥(;^_^A アセアセ・・・いつもすみません。)

 

何事も程々がよいという信念もあるので、なおさらその傾向が強くなりがちです。

 

ヴィーガン生活に切り替えた最初のきっかけは、2018年2月に今までにないような体調不良に襲われ、身体の声が「もうこれ以上動物性の食べ物を身体に取り込みたくない!」と叫んだように聞こえたからでした。

 

そのため、ベースとしてはヴィーガンの食生活を心がけていて、普段の自宅での食事や一人で外食をする時などはヴィーガン食を徹底するようにしています。

 

でも、ノーマルな食事をする家族や親戚、友人などとたまに食事をしたりする時は、
普通の食事(できるだけ魚介系を選ぶようにしていますが…)も食べたりしています。たまに外食や旅先で名店の味や、地元の名産品も美味しくいただいています。

 

なぜ完全にヴィーガンにならないのかというのは、いろいろと理由がありますが、
その中の一つは、「ヴィーガンが最善である」という考えが今現在の自分にはないからです。

 

自分にとってはメリットが多く、今それが身体に合っているので採用していますが、
人によってはヴィーガンをやっても続かなかったり、身体に合わなかったりして、
再びノーマルな食事に戻すケースがあるということを知りました。

 

つまり、これには個体差や切り替えるタイミングがあることのように思えました。
(本人の持つ信念や意志も深く関わっているように思えています。)

 

さらに、もし私がここで単にヴィーガンをやっているということを伝える分には「あら、そうなのね。お好きにどうぞ!」ということで問題にはなりませんが、それをもし「ヴィーガンがいいから、あなたもなりなさい!」と言ったり勧めたりしたとしたら、言われた方の側は良い気持ちはしないと思います。

 

自分の食生活をいきなり間違いだと言われ、否定されたような気分になるからです。
そんなことを言われれば誰だって心地よくないはずです。(`ヘ´) フンダ!!!

 

そして、私にはそもそもそんなことを言える権利がないのです。

 

なぜなら、私には今まで普通にノーマルな食事を長年してきたという事実があるからです。
「自分の事を棚に上げて、ヴィーガンになったからって急に自分が正しいみたいなことが言うな!」というのが正直他者が抱く本音ではないかと思います。

 

実際、ヴィーガンになり始めた当初は、そのことで両親と少しもめたりもしました。

 

その経験から、ノーマルな食事をしている人たちを否定することは、
結局過去の自分を否定することに繋がるのだとも思いました。

 

自分の過去を振り返った時、自然と良い悪いという自己の判断が湧くことがありますが、私は基本的には常にその時できる限りのベストを尽くして生きてきたと思っています。なので、私はその過去の自分を否定したくはないと思いました。

 

だから、今の自分とは違うノーマルな食生活をしている方については何も言いたくありませんし、何も言えないのだと思っています。

 

自分の主義主張や考えを提示するのは自由ですが、そこそこに留めておくことが肝心なのだと思っています。

 

もしそれで、そのことに興味を持ったり、真似したいと思ってくれる人がいれば、初めて自分の持つ情報や経験をシェアできるのだと思います。

 

この世に絶対的に正しいものなんてないということを最近改めて感じています。

 

自分が正しいと思うものがある」というだけで、結局「自分」という理解の範囲、限界を超えられないのだという気がします。

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

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浮いた杭になれば打たれないよ~

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数か月前、たまたま行ったとある場所で、全く予想だにしなかった方と偶然出会いました。(お互いにプライべートで訪れた先で出会った感じでした。)


なんとその方は美容業界で世界的に大活躍されている方で、ラッキーなことにその方と少し会話をする機会まで得られました。

 

その方は、ある映画の撮影時に大物ハリウッド女優として有名なジュリア・ロバーツのヘアメイクを担当されたり、様々なファッションショーで世界中のトップモデルのヘアメイクも手掛けてこられたという経歴の持ち主でした。

 

さらに、「どんだけ~!」でお馴染みのIKKOさんとも若い頃からのお知り合いだと話されてました。(´∀`*)なんか嬉しい…(笑)

 

テレビではIKKOさんは結構いじられキャラになることが多いですが、IKKOさんの美容に関する腕や知識はその方も尊敬するくらい凄い!と語っていました。

 

実は、その方とお話をした際にとても印象に残った言葉がありました。

 

それは、「出る杭は打たれる」という諺について語っていた時で、
「中途半端に出るから打たれるんだよ~。浮いた杭になれば打たれないよ!」
とにこやかに話された言葉がなんともユーモアに溢れていて心の響きました。

 

きっとその方の人生経験から生まれた言葉だということも感じられたので、
より説得力があって、「本当にその通りかも!」と思わず納得してしまいました。(゚▽゚〃)ナットク!

  

詳しくは聞けませんでしたが、その方は若い頃からすでに美容に関する分野で日本がとても遅れていると感じられていたそうです。そのため、世界的に有名なある方に弟子入りをされ、技術や経験を積まれたとのことでした。

 

初めから世界をを視野に入れて人生の道を選択されたそうなのですが、当時の日本人としては、その道を選択する人はかなり少数派だったか、ほぼ皆無のような状態だったようでした。でも、その後その方が魁、先駆的な存在になったことは言うまでもありません。

 

その方の言葉を受けて、私はあることを思いました。

 

学校や社会などに出ていくと、
少なからず人の妬みや嫉みに出会うことがあると思います。

 

特に私がこれまで聞いてきた年配の方の話によると、
女性同士よりも、実は男性同士の嫉妬の方がスゴイと聞いたことがあります。

 

男性はもともと女性よりも独占欲が強い傾向にあるので、
その分嫉妬も大きくなるのだということらしいです。
独占欲と言えば、よく見かける権力闘争、利権をめぐる抗争、派閥争いなどがその顕著な例とも言えるかもしれません。

  

巷でもよく人の揚げ足を取ったり、妬み、嫉みなどで
ちょっとでも何かの分野で抜きん出ている人を見ると、
つい足を引っ張りたくなる心理というのは見かけることがあると思います。

 

そんな時、その方が教えてくれた「出る杭になる」のではなくて、
「浮いた杭になる」という言葉が一つの助けになるのかもしれないと思いました。

 

何かの分野で一流を目指すのであれば、小さな集団の中で競い合うのではなくて、
世界を目指したり、もしくはオンリーワンと言われる、独創性を追求することが
よいのかもしれないということを思いました。

 

最初はその道の先輩や師匠から学ぶことも必要かもしれませんが、その後は、自分独自の道を切り拓く、「自分道」を極めるということなのだと思いました。

 

あえて人がやったことがないことをやる、周囲から変人と言われようと自分のスタイルを貫くということをやっていくと、たとえ誰かに妬まれることがあっても、やがてそのステージが徐々に上がっていき、そのうち相手にされなくなるのだろうと思いました。

  

そして、結果として杭として打たれることがなくなる、
つまりポジティブな意味での「浮いた杭=手の届かない存在」になるのかもしれないとそんなことを思いました。

 

私もさすがにその方の言葉を聞いて、
いきなり「浮いた杭」になれるかというとすぐには無理かなとは思いましたが、
もし足の引っ張り合いで悩まされるようなことがあれば、
思い切ってそのステージ、環境、フィールドから飛び抜けてしまうというのも、
一つの解決方法なのかもしれないと思いました。

 

いろんな分野の第一線で活躍されている方の話を聞くというのは、
思いもよらない発想や、経験から語られる生きるヒントのようなものを
与えてもらえるので本当に勉強になるな~と思いました。

 

また、以前読んだ本でこちらの本がとても学びがあって面白かったです。↓  

一流の人に学ぶ 自分の磨き方

一流の人に学ぶ 自分の磨き方

 

一流と呼ばれる人たちがなぜ一流になれたのか、
どのような考え方で生きているのか、心構えなどを知るのに大変興味深い内容です。

 

一流の世界を覗いてみるという感覚で読むのにもいいですし、
新たな価値観を知るという意味でもとても面白い本でした。

 

よろしければ是非ご一読下さい。

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

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自分のプライドの高さに悩まされたら‥‥

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以前、あるテレビ番組で映画『君の名は。』の監督として有名な新海誠さんと、作家の川上未映子さんの対談を見た。

 

その中で作家の川上さんが、「今でも書く前が臆病になる」、「敗れ去ることが分かりながら書くことと向き合わなければならないから」と語っていたことが印象に残った。

 

芥川賞を受賞し、いくつもの作品を世に送り出している作家でさえ、そう思いながら書き続けているんだと思ったら、どこか自分の辛さが和らぐような気持ちになれた。

 

何かを目指しながらも全く結果を出せない自分と、一流の人が日々感じていることが同じということは、この辛さは無くなるものではなく、受け入れるものなんだと思えたからだった。


私は一流になった人はそういう苦痛を感じずに、それを行っているものだとばかり思い込んでいた。けれど、実際はそうではなく、無名であれ、一流であれ、そのことは変わらないことだと知れたことで、それを克服しようと思わなくていいんだと思った。

 

負けることがわかっている、自分の下手さに直面することがわかっていながらも挑み続けることに意味や、やることの価値があるように思えた。
 

また、対談の中で川上さんは、新海さんに、「書くことと向き合うことと書かないことではどちらが辛いか?」と尋ねられた時、「書かないことの方が辛い」と答えていたことも印象的だった。つまり、逃げることは楽だけれど、そうすることの方がもっと辛いというのは何かとても考えさせられるものを感じた。

 

その時、私はある仕事に就いてまだ一年目だった時のことを思い出した。誰もが当たり前にできていることが何一つできず、自分の思う理想に全く近づいていかない自分に嫌気が差し、この仕事は自分には向いていないから辞めようと考え始めた。

 

その時、私は自分の成長が待てなかった。すぐに周りからすごいと認められるような成果を出したいと、自分の尻を叩き過ぎていたように思った。

 

そして、何よりもプライドが高かったのだと気づかされた。自分には才能があって、下積みなく成功を収められるものだとばかり思い込んでいた。

 

私は自分の至らなさ、不甲斐無さ、経験の足りなさ、能力の欠ける部分を直視することから逃げていたのだとわかった。できないことはやりたくない、誰よりもすごい能力を発揮させることしかやりたくないと思っていたのだと思った。だから、自分の下手さ、弱い部分と向き合うことに耐えられなかった。

 

その時、それができない理由は、自分の内側に原因があるということを知っていながら、「私にはその仕事が向いてないから」という外側のせいにしようとした。

 

自分にはどうすることもできない、〝不向き〟であることのせいにした方が心理的に楽だったからだった。

 

それにその仕事を辞める間際、私はたいしてこの仕事をしたいと思っていなかったんだとも思った。それくらいで挫折するということは、その仕事に対してそんな強い思い入れがなかったんだとも思った。でも、それは半分は真実で半分は逃げだったと思った。

 

その程度の思いで手放すくらいしか情熱を持っていなかったとわかったのと同時に、自分のプライドの高さが邪魔をしたのだと思った。

 

それは、中学生の時に美術部を辞め、絵を描くことから離れた時ともよく似ていると思った。
その時と、仕事を辞める時、そして今何か新しい夢を目指す時、すべてに共通するのは、自分の下手さ、未熟さ、弱さに向き合うことから逃げるという行動パターンだと気づいた。

 

「対して好きじゃなかった」、「本当に心からやりたいことじゃなかった」という負け犬の遠吠えのような言葉を心の中で吐きながら自分を正当化して、自分は現実と向き合うことを避け続けてきたように思った。

 

段々とそんな自分の生き方、姿を客観的に見られるようになって、それこそ恥ずかしい、みっともない生き方のように思えてきた。そうやって逃げ続けていれば安心かもしれないけれど、事実は変わることなく同じ場所にあるように思えて、何ら根本的な解決になっていないことに気づいたからだった。
 

私はこれまで、打ちのめされ、負け続ける自分が最も恥ずかしいと思っていた。私にとって、自分の無力さやみじめさ、弱さを見ることになり、そんな姿を周りに晒したくない、良い時の自分、すごいと思われる自分しか周囲に知られたくないと思っていた。

 

でも、今になってみると、挑むことを諦め、一時的に避難してのほほんと胡坐をかいている自分の方がよっぽど恥ずかしくてみっともない姿だと思うようになった。

  

「そんなことをして、自分はいったい何を守っているの?」と言いたくなった。
そして、「そんなの全然守っていることになってないよ!」と思った。その姿の方が自分の弱さを周囲に晒している生き方のように思った。

 

挑んで負ける姿の方が、挑むことから逃げている姿より、よっぽど潔いと思った。

 

そんな生き方はダサイ、愚直で不器用な生き方だと言われるかもしれない。でも、どれだけ打ちのめされてもまた立ち上がる、転んでもただでは起きない、何度でも挑戦し続け諦めない、そのリベンジ精神や根性を持って生きている方がいいと思えた。

 

そして、自分の弱さと直面している生き方の方が人間として格好良いと思った。


それから、プライドが高かった当時、深層心理の中に、「私には〇〇ができて当たり前」、「私には〇〇に関する優れた才能、能力がある」という前提が潜んでいるように思った。そして、その自信は一体どこからやってきたんだろう?と思った。それは何か実際の評価や事実に裏打ちされているものだろうかと考えてみたけれど、よくわからなかった。それが傲りなのかもしれないと思った。
 

できなくてもいい、誰かに勝とうと思わなくていい、自分の理想に近づかなくてもいい、『何ものにも向けられない行為』があってもいいじゃないかと思った。

 

楽しいからやる、何となくやりたいからやる、やらないよりやる方がましだからやる、理由はなんでもよいけれど、下手でも、恥ずかしいと思われても、「ただやる」ことに意味を見い出せたら、それは怖いもの知らず、無敵のように思った。

 

時にプライドの高さがその人を本来の自分から遠ざけ、
自分らしくあることを阻んでいる場合があるのかもしれない。

 

そんな時、その人の心に少しでもこの話が届いてくれたらと思う。

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

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絵を描くのが嫌い、才能が消えちゃった・・・【その③-全3編】

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中学校全体で注目してもらったり、取り上げてもらえたことは、
すごく嬉しく自分の才能により自信を持つきっかけになりました。

 

先生たちからも「次回の絵も期待してるよ!」とか
「また楽しみにしてるよ!」と言われることも増え、
それはまた頑張ろうというモチベーションにも繋がりました。

 

けれど、私の心の中では実は葛藤が生まれ始めていました。

 

当時同級生で同じ美術部に所属していたある子の絵が
どんどん上手くなってきているのを知っていました。
私はその子に対して段々と嫉妬心を抱くようになってしまったのです。
何かそのことによって嫌がらせをしたという訳でなく、
自分の心の中だけで思っているという感じでした。
もしかしたら、相手にはそれが言動として伝わっていたかもしれませんが・・・。

 

自分が唯一誇れる絵の才能を脅かされるような不安に
苛まれるようになっていきました。


その子よりも上手い絵が描きたい、
その子にだけには負けたくない、その子にコンクールで賞を取ってほしくない、
自分だけがちやほやされたいというような欲がどっと溢れてきたのです。

 

初めはただ純粋に無欲で絵を描いていたのが、
段々と競争のため、過去の栄光を保つため、
他者を蹴落として上に立つために絵を描くという方向性に変わっていってしまいました。

 

また周囲からも期待されていて、
次のコンクールで賞を取れなかったらどうしようという
いらぬプレッシャーや不安も感じるようになりました。

 

そんな余計なものだらけの、ごちゃごちゃした頭の中で絵を描いていたら、
ある日、突然心の声が「もう絵を描きたくない!」と叫んだように思えました。
「そんな見栄のため、競争のために絵を描きたくない!」と、
心の中の自分がそう叫ぶのが聞こえました。

 

それ以降、なぜか自分の絵の才能に自信が持てなくなり、
どんどん絵が下手になっていくのが自分でもわかりました。
今まで普通に描けていたものも描けなくなり、
「あっ、絵の才能が消えちゃった!」と自分で瞬間的にそう思いました。

 

そして、きっと私欲のためにその才能を使おうとしたことで、
神様が私の絵の才能を取り上げちゃったんだなとも思いました。

 

そして、翌年中学3年生の時はコンクールへ応募を辞退し、
高校生にあがるのを機に美術部を辞めることも決意しました。

 

どんどん絵が上手くなっていく子に、
絵の才能の差を見せつけられることも怖かったからでした。
その時、自分は逃げたのだなと思いました。

 

その経験があってから絵を描くことが嫌いになってしまいました。
その後も高校の美術の授業などで絵を描く機会はありましたが、
正直あまり気が乗らず、最低限の力で無難に済ませていました。


また、趣味でイラストみたいな簡単な絵は描くことはありましたが、
その出来事以来、油絵は一切描いていません。
今も相変わらず絵を描く時に変なストッパーがあるのがわかります。

 

数年前に、そのことに気がついてから、
わざと自分に対して「これはリハビリだー!」と称して、
真っ白な紙に色鉛筆で何も考えずにただぐるぐるを描いたりしていました。
幼い子どもたちが自由に描いている姿を真似するみたいに‥‥。

 

それは、何かかたちになるものを描こう、きれいに描こう、
褒められるものを描こう、意味のあるものを描こうという
そういった意識の外で絵を描きたかったからでした。
そういった何ものにも向けられない、目的のない行為も
時に必要なのかなと再認識させられました。

 

これまでそうやって少しずつですが、絵の才能を取り戻そうと取り組んできて、
今ではだいぶ良くなってきたので、たまに自作の絵本なんかを公募のコンクールに応募したりしています。
まだ箸にも棒にも掛からぬ状態ですけど‥‥。

  

今は結果を求めず、ただ単純に絵を描くことを自体を楽しむことが大事なんだなと
と思うようにしています。

 

私はこの経験から本当に好きなことは、他者の評価や競争のためにそれを用いず、ただ純粋にそれだけを楽しむことが長続きさせるポイントなのかなと学びました。

 

読者の皆様、いつもブログを読んで下さってありがとうございます。

 

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